雲の上での思索

春の海は、眩いばかりに光っていた。
羽田を飛び立った宮崎行きの飛行機は
ゆっくりと旋回しながら進路を西にとり
水平飛行に入った。
地図の形どおりの三浦半島が見える。
芥子粒のような建物の集積...

あの街の中で無数の人たちが
無数の思いを抱えて生きている。
こうして見ると
人が執着しているものなど、なんと小さなものだろうと思えてくる。
自分をあの中においてみたら、心をしめつける悩みさえも、つまらないものに思える。


しばらくすると、「富士山の上空を通過中です」のアナウンス。
元々、飛行機に乗る機会は少なかったし、天気とか席の位置とかで、飛行機からの富士山は初めてだ。
思ったよりも小さく見えるものなんだな...
それにしても、美しい
雪のバランスも最高にいい

そして、持ってきた本を開く

本覚坊遺文 (講談社文庫)

本覚坊遺文 (講談社文庫)

井上靖『本覺坊遺文』
井上靖氏晩年の名作。
千利休の弟子本覺坊が、師利休亡き後に綴る手記...
本覺坊という人物は実在したが、内容は井上氏の創作である。

たった2畳ほどの茶室という空間で繰り広げられる生死の世界...
真剣の切っ先が触れ合うような、命がけの勝負。
乱世の茶...武人は茶室から合戦へ向かい、死んでいった。
先ほど窓からの景色を見て浮かんだ思いとは真逆の思いがひろがる。


利休(宗易)は、秀吉の勘気に触れて突然死を命じられ、申し開きもせずに自刃してしまう。
弟子本覺坊が胸の内の師と語らい、師と関わった人々と語らう中で
師の精神...乱世における侘茶の精神を思索していく。
師逝きて30年...晩年にさしかかった本覺坊の夢に、秀吉と師利休(宗易)が現れる。

坂本の茶会には初めて上さまの御茶頭という資格で席に臨みました。
忘れもいたしません。
床には京生島の虚堂の墨跡、荒本道薫の青磁の蕪なしの花入、せめひもの釜、紹鴎の芋頭茶入、
大覚寺天目で上さまに一服、蛸壷の水下、あとの衆は井戸茶碗でのみ廻し。

...よく覚えているな。
...それは覚えております。宗易、生涯での記念すべき日でございます。
あれから今日まで足かけ八年、上さまにお仕えしてまいりましたが、いよいよお別れの日となりました。
永年に亘っての御愛顧、御温情のほど、お礼の申し上げようもございません。
...なにも別れなくてもいいだろう。
...そういうわけには参りません。死を賜りました。
...そうむきにならなくてもいい。
...むきにはなりません。上さまからはたくさんのものを頂いてまいりました。
茶人としていまの地位も、力も、佗数寄への大きい御援助も。
そして最後に死を賜りました。これが一番大きい頂きものでございました。
死を賜ったお蔭で、宗易は詫茶というものがいかなるものであるか、初めて判ったような気がしております。
堺へ追放のお達しを受けた時から、急に身も心も自由になりました。
永年、詫数寄、詫数寄と言ってまいりましたが、やはりてらいや身振りがございました。
宗易は生涯を通して、そのことに悩んでいたように思います。
が、突然、死というものが自分にやって来た時、それに真向うから立ち向った時、
もうそこには何のてらいも、身振りもございませんでした。詫びというものは、何と申しますか、
死の骨のようなものになりました。
(中略)
...そうでございます。それでよかったのでございます。
それなのに、上さまは刀をお抜きになりました。
そうなると、宗易は宗易で、上さまに対して刀を抜くしかございません。
上さまに上さまとしてお守りにならねばならぬものがあるように、
宗易にもまた、茶人として守らなければならぬものがございます。
刀なんか抜いてお見せにならず、いっそのこと腹立ちまぎれに、いきなりばさりとお切り捨てになればよろしかった。
そうすれば何も問題は残りませんでした。でも、そうなさらなかった。

...お気に召さないといって、死を下さいました。
堺追放をお言渡しになった時、見栄も外聞もなく、上さまは本当の上さまになられました。
茶がなんだ、詫茶がなんだ、そんなものは初めからたいしたものとは思っておらん。付合ってやっただけだ。
そんなお声が聞えました。上さまが本当の上さまになられたことで、宗易もまた本当の宗易にならねばなりませんでした。
お蔭さまで宗易は本当に、長い長い間の夢から覚めることができたように思います。

                                   『本覺坊遺文』  

秀吉も利休も生きた人間としては登場しない。
師を生涯慕い続け、その師を突然死に追いやった秀吉への怒り...
弟子本覺坊が師の生と死の意味を思索するという形で、かえっていきいきとした情景が描き出される。
師弟ということについては、また改めて後日に...


飛行機が宮崎に着き、タクシーで世界最大級の太陽電池工場へ...
宮崎の桜は満開に近く、山間の道に入ると山桜の花吹雪が空から降ってくる。


技術担当として、この2週間ほとんど休まずに実験を繰り返し、技術資料をまとめてきた。
プレゼンのシナリオ作りも完璧にやってあったので、質問事項にも滞りなく回答し、打ち合わせは終了。
予定よりも早く空港に戻ったので、飛行機を変更して16時発の便で羽田に向かう。
社長も同行しているので、寄り道はなし...


18時前に羽田に着いて解散したので、ひとりでぷらっと国際線ターミナルへ行き
展望デッキでしばらく飛行機を眺めて帰る。