辛酸入佳境 楽亦有其中

田中正造の名前を知ったのは、高校生の時に読んだ『公害言論』という宇井純氏の講演集だった。
日本で初めての公害事件。百年公害と言われた「足尾鉱毒事件」


本屋でたまたま手にした本..田中正造の物語であることを知って購入

辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫)

辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫)

翁の初めて鉱毒問題を議会に提出したるは、明治二十四年にあり。
爾来議会の開くる毎に同問題を叫破せざることなく、
議論一たび鉱毒に渉れば。すなわち鬚眉(しゅうび)、異様の活気を帯び来り、
瞋目(しんもく)戟手と相応じて、怒罵百出し、其神激し気昂るに及んでは、
音吐破鐘の如く、唾沫四方に飛び、一道徳不穏の熱狂、
沸々として満身の毛孔より噴射するものの如く、眼中また政府なく、議会なく、
唯だ無告憐れむべき鉱毒被害民あるのみ。
                 『成功雑誌』大正12年10月号

衆議院議員当選六回という地位に驕らず、弱い民衆の側に立って強大な権力と真っ向から闘い続けた。
議員でいても進まないと考えて議員を辞め、一平民となって足尾鉱毒問題と徹底して闘う。
その後、国と県が資本家と結託した陰謀の犠牲となった谷中村に骨をうずめる覚悟で住み着く。
この時すでに70歳にならんとする老人であった。財産はすべて鉱毒問題のために投げ打った。
県によって家を強制破壊された16戸を含め19戸の人々と共に、
雨風もしのげないようなあばら家を点々としながら、闘い続ける。
田中がよく書いた揮毫が、「辛酸入佳境 楽亦有其中」
辛酸は佳境に入る。楽またその中にあり。
なんという覚悟 なんという情熱...70を超えても、その姿勢は衰えなかった。


強大な国家権力の前に、ずるずると負けていくしかない闘い。
あまりの悲惨な生活に耐えきれず、脱落する人もあった。
自分がそこにいても、耐えられるかどうか自信はない。あまりにも過酷な苦痛の日々...
その中で村民の宗三郎を弟子として育てあげ、闘いの渦中で倒れ亡くなっていく。
所持品は、書きかけの原稿と日記3冊、帝国憲法と聖書、小石が3個と鼻紙だけだった。


遺された弟子宗三郎は、師の心を受け継いで闘い続けていく...が、勝ち目のない闘いであった。

宗三郎は床の間を見た。「辛酸入佳境」の正造の掛け軸がかかっている。
野中屋の主人は、正造の歿後にも残留民に好意を持ち、夜明けまで飲食をしたという名目で
宿代もとらずに泊めてくれたし、その座敷にはいつも正造の掛軸や色紙を掛けている。
はげしい筆勢ながら、まるみを帯びたその五文字が、宗三郎の視界いっぱいにふくれ上がった。
辛酸を神の恩寵と見、それに耐えることによろこびを感じたのか。
それとも、佳境は辛酸を重ねた彼岸にこそあるというのか。
あるいは、自他ともに破滅に巻き込むことに、破壊を好む人間の欲望の満足があるというのだろうか。
正造がいずれを意味したか、そのすべてを意味したのか、知る由もない。
ただ宗三郎に明らかなのは、残留民にはいまどんな意味においても、佳境がないということである。
余りにも佳境から程遠い。心は泡立ち、鳥肌立っている。

                           城山三郎『辛酸』

弟子、宗三郎の視点で書かれたこの小説。
師も偉大であったが、弟子もまた立派だった。
国家という、あまりにも大きな権力の前に勝てるわけがなかった...
しかし、その闘いは後世に残り、正義は証明されることになるのだが...


重い小説ではあったが、師弟の関係だけが美しく清々しい。


長くなってしまったので
今日は、読書のことだけ