先日、浅草のイベントで注文した
藍さんの作品...藍染のブックカバーが
手元に届いた。
縫製だけは、専門の職人さんに委託したそうだが
一色一色、丁寧に糸を染め上げ、
一本一本糸を通して、機織りで織り上げたのは
藍さんご自身の手によるものである。
手に取ってみると、やはりいいものだ。
化学染料で色を付け、機械で織った布とは、
まったく違う温かみがある。
6年前に三重で偶然に出会って、その人柄にひかれ、仕事帰りにお店に通った。
機織りをされている姿も、数回見ているが、縦糸を一本一本機織り機にセットし、
横糸を一本一本手で通して織り上げていく、あの気の遠くなるような作業...
テレビで目にすることはあったが、目の前で職人の手仕事に、深い感動を覚えた。
糸を通していく、その手の動きは、なんとも美しいものとして、記憶に残っている。
先日読んだ『職人』という本の一文を思い返す...
- 作者: 竹田米吉
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2003/11
- メディア: 文庫
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仕事をするときの職人の姿勢もやかましく言われた。
それは職人の身だしなみであり見栄でもあったが、
けっきょくは正しい姿勢が正しい仕事をするために必要不可欠なのである。
つまり仕事の量と質とを確保するには、最も能率的な姿勢をとるように訓練しておくを必要とする。
(中略)
職人の姿勢もけっきょくは能率と危険防止という二つの観点から永い経験のもとに生み出されたもので、
それがいつのまにか美感となり、仕事上の不文律となったものであろう。竹田米吉『職人』
手仕事において、最も効率がよい姿勢が最も美しい。
それは、師匠から弟子へ、厳しい鍛錬を通して伝えられるものだ。
手仕事の中には、働くこと自体への歓びがある。生産者と生産物の心理的結合がある。価値の創出がある。
(「日本人はなんのために働いてきたのか」より→http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20060530)
以前にも引用したことがあるが...
柳宗悦著「手仕事の日本」
元来我国を「手の国」と呼んでもよいくらいだと思っています。
国民の手の器用さは、誰も気づくところであります。
手という文字をどんなにたくさん用いているかを見てもよくわかります。
「上手」とか「下手」という言葉は、直ちに手の技を語ります。
「手堅い」とか、「手並みがよい」とか、「手柄を立てる」とか、「手本にする」とか
皆手に因んだ言い方であります。
「手腕」があると言えば力量のある意味であります。(中略)
「読み手」「書き手」「聞き手」「騎り手」などの如く
ほとんど凡ての動詞に「手」の字を添えて、人の働きを示しますから
手に因む文字は、大変な数にのぼります。
そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります。
機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起こさせる所以だと思います。
手は、ただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、
これがものを作らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。
それゆえ手仕事は一面に心の仕事と申してよいでありましょう。
柳宗悦『手仕事の日本』
大量生産大量消費の時代の波が、労働というものをいかに無味乾燥なものにし、
人の生活からどれほど潤いというものを奪っていったか計り知れない。
職人が生きにくい時代...その中で、あえて職人の道を選び歩く人は尊いと思う。
そんなことを想いつつ、改めてこの作品を眺める。
写真にはうまく写せないが、いい色だな...
自分で使うつもりで買ったのだけれど、眺めているうちに
ふと貴重な本を何冊もいただいてきた読書家のIさんに何もお返しをしていないことを思い出し
このブックカバーを御礼として差し上げることにした。
きっと喜んでいただけるだろう。
自分のものは、また藍さんにお願いすればよいし...