幕間

42歳で、リストラというものを経験し
給付金で3か月の講座を受けた。
営業活動にITを活かすという内容で
20代から60代まで20人が席を並べ
一緒に勉強をした。
その時の同級生のWさんが
滋賀に家を建てて引っ越すというので
4人で送別会@横浜駅
イカリエンテ以外は60近いオジサン
いまだに付き合っているのは、このメンバーだけだ。
Wさんは、近江舞子に行くという...滋賀の西岸には行ったことがないが
水上勉の『桜守』のなかで、生涯を桜一筋にかけた庭師の弥吉が最も愛した桜が
近江舞子の北側にある海津の桜だったのを思い出した。
関西に行く機会があったら、Wさんを訪ねて、この桜も観に行こうかな...


久しぶりに『桜守』を開いて、ぱらぱらとめくり拾い読みをしてみると
改めて「仕事」とは何だろうと思う。
弥吉は、架空の人物であるが、その師 竹部(笹部新太郎)は実在の桜学者である。
生涯を桜にかけた、桜きちがいとまで言われた人物である。
ここに描かれる弟子弥吉もまた、桜きちがいであった。
自分には、何があるのだろう?...なにもないな。
それどころか、選択の余地もまったくない中で、たまたま今度の会社に拾われた。
定年が65歳だから、あと15年...
ここで、しっかりと根をおろして、懸命に頑張るしかないな。
その中で、何かを見つけなければならないのだろう。


思えば、随分長い空白を作ってしまった。
40代に入って三度の失業...合わせて28ヶ月...二年以上の空白。
ふり返っても仕方のないことだが...
イカリエンテ劇場の一場面は幕がおりた。
今は幕間の休憩時間...
間もなく筋書きのない新たな幕が開こうとしている。

人生とは極めて真面目な芝居であり、
出来るだけ上手に芝居しようとする努力が人生そのものだと言えよう。
俳優は勿論、見物もこの努力に参加している。
上手に演じようとする俳優の技術は、上手に見ようという見物の技術と同じ性質である。
名優と見巧者とは、完全に協力している。お互いに相手によって己を律している。
相手のうちに己の鏡を見て楽しむ。
人生の友愛は、そういう交わりを重ねる以外、何処に生まれ得ようか。
                    小林秀雄『或る夜の感想』