美を求める心

息子の大学院卒業に伴って
K大学でのボランティアの仕事も
あと数回の行事で終わる。
今日は新宿キャンパスで役員会。
午前11時から午後5時までの長丁場
その後、懇親会そして二次会..
最近、酒は自粛していたが、大学の先生方と飲めるのもあと数回なので、最後まで参加。
今日は、最近担当になられたI先生と初めてお話しをさせていただく。
スポーツ流体工学等がご専門で「世界一受けたい授業」などテレビ出演も多いI先生。
流体工学の話しは難しいので、水着の話しなど...
近くに音声に関する研究をされているS先生も居られたので、
自分の得意なにおいの話しや人間の感覚・感性の話しをしたように思う..が
かなり酔っていて、細かくは覚えていない。
水着の話しは、後日講演を聴いたときにでも..


さて、人間の感覚について話すうちに、ふと先日読んだ小林秀雄の文章を思い出し
帰宅してから本をめくる。

見るとか聴くとかいう事を、簡単に考えてはいけない。
ぼんやりしていても耳には音が聞こえてくるし、特に見ようとしなくても、
眼の前にあるものは眼に見える。(中略)
健康な眼や耳を持ってさえいれば、見たり聞いたりすることは、誰にでも出来る易しい事だ。
頭で考えることは難しいかもしれないし、見たり聴いたりすることに、何の努力が要ろうか。そんなふうに、考えがちなものですが、それは間違いです。
見ることも、聴くことも、考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事なのです。(中略)
見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。
例えば、諸君が野原を歩いて一輪の花の咲いているのを見たとする。
見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。
何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのをやめるのでしょう。
諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入ってくれば、
諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るということは難しいことです。
菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えて了うことです。
言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、
花は諸君に、嘗て見た事もなかったような美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。(中略)
美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです。
これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。
絵や音楽が本当に解るという事は、こういう沈黙の力に堪える経験を味わう事に他なりません。(中略)
絵や音楽が解るというのは、絵や音楽を感ずることです。愛することです。
                   小林秀雄『美を求める心』


感覚は、物理的または化学的な伝達経路を経て、脳に伝わって認識するものだが
それを受け止める感受性も様々であろうし、
そこから生じる心というものも、また人によって大きく異なるのだろう。
沈黙に堪えるという経験が乏しい自分は、美というものがよく解っていないのかもしれない。
心の中でお喋りをしすぎるのだろうな...
久しぶりに早めの就寝