心根

午前中、知人のTさんの葬儀へ...
1年程前だったろうか...癌の宣告を受け、闘病生活を続けられていた。
少し落ち着いた時期もあったようで..先日、初めてのお孫さんが生まれ..
その後の病状は聞いていなかったが...
先週亡くなられたとの連絡があった。
通夜には出られなかったので、告別式に参列。
町内会館の前には、多くの人が集まって、別れを惜しんでいた。
63歳...若い死ではあったが...
春のような暖かい日差しの中で、安心しきった顔で眠っておられた。
あと一カ月もすると花開くであろう、大きな桜の木の下から出発した霊柩車を
合掌しながら見送った。


夕方、大阪の友人S氏と渋谷で待ち合わせ。約半年ぶりの再会。
彼もまた失業中で、現在就職活動中である。
イカリエンテよりも若く、優秀で人柄も良いので
すぐに決まるだろうと思っていたが、苦戦をしているようである。
ただ、面接は既に数社受けていて、こちらから断る場合もあるというので
イカリエンテよりはずっとましだが...


就職の話しから、幸福とは何かというテーマまで...
話しは、いろいろな方向に展開していく。
彼の顔を見ていると、なんと心根のきれいな人なのだろうと思う。
心根というのは、顔に出てしまうものだ。


流転の海 第4部 天の夜曲 (新潮文庫)

流転の海 第4部 天の夜曲 (新潮文庫)

50歳で初めての子を為した松坂熊吾は、息子の伸仁に対して
折りにふれては、人間として大切な事を教えていく。
富山に妻子を残し、大阪に出て事業を始動した途端に信頼していた身内の裏切りに遭い
財産を失ってしまった熊吾が富山に戻ってきた時に9歳になった伸仁を連れて野を歩きながら
「心根」について語る場面がある。

「中国の後漢書やったか史記やったかに『蛮夷は鳥獣の心を抱き、養い難く破れ易し』
っちゅう言葉がある。復唱してみぃ」
「ばんいはちょうじゅうのこころをいだきやしないがたく...」
「やぶれやすし、じゃ」
「蛮夷って何?」..(中略)
「蛮夷っちゅう輩は、物事の正邪や道理をどんなに丁寧に教えてやっても、
なかなか理解せんし、せっかくそれを覚えてもすぐに忘れてしま、生来の本能の方へ行きよる。
まあそういう意味じゃが、わしは『蛮夷』というのは、正しい教育を受けちょらん
無教養な人間、もしくは、こずるいとか、自己を律する訓練を受けとらん弱い人間のことじゃと思う。
欲や保身のために、すぐに人を裏切る人間もまた蛮夷じゃ..(中略)」
さて、もっとわかりやすく伸仁に説明するには、どんな言葉を使えばいいだろうかと考えながら
熊吾もあぜ道に腰を降ろし、ピースの箱から一本抜くとそれに火をつけた。
すぐに「心根」という言葉が浮かんだ。けれども、「心根」とは何かと問われると
その言葉の方が説明しにくいような気もした。
熊吾は土の道に「心根」と書き、
こころね、と読む。蛮夷は、心根の悪い人間のことじゃ」
と言い、どうもこの心根というものは、その人が持って生まれたものでもあるが、
育った環境によって左右されるとつづけた。
「心の根と書く。読んで字の如し。わかりにくかったら、ただ心と覚えとりゃあええ」
「心と心根は違うのん?」
と伸仁は訊いた。
熊吾は野菊に似た花を見やり、
「心を植物に喩えてみりゃあええ。もし心が植物なら、当然根もあるし葉もあるし、
花も咲くじゃろう。人間の心には根がある。その心からいろんな花が咲く。
きれいな心からはきれいな花が咲くし、きたない心からは毒のような花が咲きよる。
それが道理というもんじゃ」
そして熊吾は、伸仁の肩を抱き寄せ
「お前はきれいな心をしちょる。九年間、ずーっとお前を見てきたこの親父が
言うんじゃから、間違えはあらせん。お前はきれいな心の人間じゃ」


自分も、何があろうとも心根だけはきれいな人間でありたい。
考えてみれば、自分の周りにいる人たち..
何の取り柄もない、付き合っても何の得もないこの自分を気にかけ
声をかけてくれる人たちを見まわすと
心根のきれいな人のなんと多いことか...
逆に心根が卑しかったり、汚かったりする人たちも何人も見てきた。
金でも地位でも名誉でもない。
心根がきれいであることが、人間として最も大事なことなのだ...


店を出て、マークシティーまで歩き、お互いの健闘を祈りながら
握手をして別れた。