井上靖『孔子』

失業認定を受けるため職安へ...
梅雨が近いことを告げるように
色づき始めた紫陽花を見ながら
新横浜からの道を速足で歩く。
今日も職安は満員。
何度来ても寂しい気分になる場所だ。


地下鉄の一日乗車券を買ったので、新横浜から地下鉄に乗って横浜へ...
しかし、本を読んでいるうちにいつしか爆睡。
はっと気がついたら、弘明寺駅に停まったところだったので、慌てて降りる。
ついでだから降りてみよう..ということで、ぶらり途中下車の旅
いつも弘明寺を自慢しているNANAさんにメールして、お薦めランチの店を教えてもらう。
で...教えてもらったのが、レストラン「まこと」
ちょっとレトロな感じのこじんまりしたレストラン...
ついでにお薦めの「さかな丼」1,260円をオーダー(もちろんごはん少なめ)
無職のムイカリエンテには、ちょっとお高いランチだが...たまにはいいか...
出てきたのがこれ↓

ホウボー・サワラ・メジナ・アジの切り身を焼いてご飯に乗せた丼。
ご飯には、魚を煮込んでとった出汁と岩海苔・シメジが載っている。
魚は表面がカリカリ・中味はふんわりとして美味い!
お客さんはおばちゃんが多かったので、ちょっと騒がしかったが...
久しぶりに美味しいランチを食べた...満足!


弘明寺にはほかに寄るところもないので、そのまま横浜まで戻って、ちょっと歩いてから喫茶店で読書。
井上靖の『孔子』を読了。
テーマは「師弟」。井上靖の集大成との言うべき作品で、亡くなる直前に書いた最後の長編である。

孔子 (新潮文庫)

孔子 (新潮文庫)

あらゆる人間関係の中で最も気高く人間らしい関係...それは師弟である。

私は人間と人間の関係の中で、一番好きなのは師弟の関係である。
師は私に何ものかを教えたということで師であり、私は何ものかを教わったということで弟子である。
師はあくまでも私にとって厳格なものであっていいし、私はどこまでも師に対して礼をもって接しなければならない。
                  井上靖「私の自己形成史」

この物語は、蔫薑(えんきょう)という架空の弟子が、30年前に亡くなっている師、孔子を語る形で描かれている。
蔫薑は乱世の中で肉親を失い国をも失って放浪していた青年であった。
旅先で孔子と弟子の一団に出会い、同行することになるが、孔子の人格と振る舞い、そして弟子たちの姿に感銘し、やがて生涯孔子に仕えることになる。
師弟の関係は峻厳である。
師を求め道を求めて、いかなる苦難があろうとも師に随従し、師に学び、師と共に生きて、師の一言一言を大事に噛み砕いて実践していく弟子。
師を亡くした後も、心の中に生き続ける師を求め、師の思想を後世に伝え遺そうとする弟子。
偉大な師がなければ弟子も育たないが、良き弟子がなければ師の偉大さは立証できない。
論語が著されるのは、孔子没後300年のことであるが、この小説では孔子没後30年に時代設定をして架空の弟子蔫薑を登場させて、孔子の言葉や思想の解釈を井上氏なりに入れていく。
そこに井上氏が生きていたかのように...
内容については、また後日改めて...


就職の応募3社...一週間経過しても返信もなし