仕事はないのに、ボランティアは忙しく...
土曜日は、K大学後援会の総会...終日
総会では副会長の任命を受ける。
ホントに自分でいいんだろうか?
仕事もしてないのに...
平日になると、またすることもなく...
午後から再び公園へ...
木陰に座って、ソーダ水を飲みながら本を読む。
初夏のような陽射しだが、木陰は気持ちいい。
以前、宮本輝のエッセーで紹介されていた、
チェーホフの『恋について』
- 作者: アントン・P.チェーホフ,イリーナザトゥロフスカヤ,中村喜和
- 出版社/メーカー: 未知谷
- 発売日: 2009/01/01
- メディア: 単行本
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アンナもまたアリョーヒンにひそかに思いを寄せている。
しかし、アンナには夫も子供もいたのだった。
そして、お互いに思いを告げられぬまま別れの時が来た。
「幸か不幸か、われわれの人生では、遅かれ早かれ終わりを告げぬようなものはないのですね。
別離の時が来ました。(中略)
わたしたちはおおぜいでアンナ・アレクセーヴナを送りに行きました。
彼女が夫や子供たちと別れをすませ、三番目の発車ベルがもうすぐというとき、
わたしは彼女のコンパートメントへ駈け込んで、
忘れそうになったバスケットを一つ、網棚へのせましたが、
いよいよ別れを告げなければなりません。
そのコンパートメントで互いに目が合ったとき、ふたりとも自制心を失ってしまって、
わたしは彼女をひしと抱きしめました。
わたしの胸に彼女が顔をおしあてると、その眼から涙がこぼれました。
涙にぬれたその顔や、肩や、手に口づけしながら
...ああ、どんなにわたしたちは不仕合せだったことでしょう...
わたしは思いのたけを訴え、そして焦がれるような痛みを胸におぼえながら、
ふたりの恋を妨げていたすべてが、どんなに取るにたりない、ちっぽけなことだったか
どんなに見かけだけのことだったかをさとったのです。
恋をしたら、その恋について考えるのに、月並みな意味で幸福か不幸か、
罪悪か美徳かなどということよりも、もっと高い、もっと大事なことから出発するべきだ、
そうでなければ、むしろ全く考えないほうがいい、ということをわたしはさとったのです。最後に口づけをかわして、手をにぎりしめてわたしたちは別れました...永遠に。
汽車はもう動き出していました。わたしは隣のコンパートメントに行って腰をおろし...
そこには誰もいなかったのです...次の駅までそこにすわって泣きました。
それからソフィーのへ歩いて帰ったのです。」
かなわぬ恋の結末は切ない。
果たしてこのような恋に、社会的規範や倫理を超えて、
<もっと高い、もっと大事なことから出発すべき>とは、いったいどういうことなのだろうか?
宮本氏も、ここを疑問としてとらえながらも結論は出ていないのだが...
チェーホフ自身が、死ぬ5カ月前ほどにかつての恋人に宛てた手紙の中に、
そのヒントがあるのではないかと推測している。
ごきげんよう。なによりも、快活でいらっしゃるように。
人生をあまりむずかしく考えてはいけません。
おそらくほんとうはもっとずっと簡単なものなのでしょうから。
人生は、自分が考えているよりも、もっともっと簡単なものなのかもしれない。
小さな事で右往左往しているのは、人間だけではあるまいか...
大空を風が吹きわたっていく。
木々がゆらゆらとゆれた瞬間に頭上から何かが降ってきて、肩に当たった。
そしてまた苔の上にぱらぱらと降ってきた。
それは白い小さな花だった。
生命は絶えず生まれ成長し、そして老いて死んで朽ちていく。
生死以外は、たいした問題ではないのかもしれない。
小さなことで一喜一憂しているのは、人間だけかもしれない。
地面の上には、多くの生命の生死が横たわっていた。