花の宝冠

今日も午後から散歩に出かける。
公園の隅に咲くシロツメクサを見て
遠い思い出がよみがえる。


それはまだ学校にあがる前の
おぼろげな記憶である。
春になると母に手を引かれて
近くの山の上にある野原に出かけた。
草もちを作るためにヨモギを摘んで集めたあと
母は、シロツメクサを編んで冠を作ってくれた。母の手は白くやわらかであった。
できあがった花の冠を私の頭に載せてくれた。生活は貧しかったが、心は王様のようであった。
母は、若く美しかった。


あの日、母がかぶせてくれた宝冠のことを忘れていたのだ。
母が...自分のことを最も理解し愛してくれた母が、
頭上に載せてくれた宝冠以外に何の冠が必要だというのだ?
大人になって心が汚れて、目がかすんで、自分の頭上にあの冠が輝いていることを忘れていたのだ。
もう一度眼を開けて花の宝冠を思い出そう。
姿勢を糺して、胸を張って前へ進むのだ。


駅前広場のデッキに座り、青空の下でタゴールの詩を開く。

タゴール詩集―ギーターンジャリ (岩波文庫)

タゴール詩集―ギーターンジャリ (岩波文庫)

私は欲しかった...口には出さなかったが。あなたが頸に掛けていたバラの頸飾りが。
そこで、朝になってあなたが出ていく時にには、寝床の上にいくつかの花びらが見つかると思っていた。
そして夜が明けると私は乞食のように、一ひら二ひら花びらが散らばっていないかと探した。
おや、わたしが見つけたのは何だったか。あなたが置いていった愛情の印は何だったか。
花でもない、香料でもない、香水の入った瓶でもない。
それは焔のように閃き、雷のように重々しい、あなたの大きな剣であった。
若々しい朝の光が差し込んで来て、あなたの寝床に広がる。
花でもない、香料でもない、香水の入った瓶でもない...あなたの恐ろしい剣だったのだ。
私はびっくりして坐り込んで考える。あなたのこの贈り物は、何だろう。それを隠す場所が見つからない。
か弱いこの私は、身に着けるのが恥ずかしい。それを胸に抱きしめると、私は傷つくのだ。
それでもやはり私は胸に荷おう、この重荷の苦しみの誉れを、このあなたの贈り物を。
今からもう私は、この世に恐ろしいものはないのだ。
そしてあなたは、私のあらゆる争いの勝利者になるだろう。
あなたは、私に伴侶として、死を残していった。
そして、私は、私の生命をその死の王冠に捧げよう。
私の絆を断ち切るために、私はあなたの剣を身に着けている。
だから、この世にもう恐ろしいものはないのだ。
今からは、私はつまらない虚飾などをかなぐり捨てる。
私の心の主人よ、隅に隠れて、待ったり、泣いたりすることは、もうしますまい。
物腰にも、恥じらいや、しとやかさは、もう捨てよう。あなたは、私の飾りとしてあなたの剣をくれた。
人形のような飾りはもうたくさんだ。
                      タゴール詩集『ギーターンシャリ』

強くあれ 強くあれと タゴールは詠う。
幸福になるために必要なのは、薔薇の花でも甘い香水でもない。
誰もが生命の奥底に秘している勇気の剣なのだ。
いかなる苦難にも負けないことが幸福なのだ。
弱い心 賤しい心を断ち切って、進まねばならない。
                         

幸なきに 守りませとは
  われ祈らず
    幸なくば 怖ぢずあらなむ
むらきもの心を痛み
  慰めあらずとも
    苦しみに 勝ち得む
      よし友来ずとも
      わが力 挫けまじ
      世の禍事に ただ
        欺かるとも
      我が心 失すと 思わじ


この身助けませとは
  われ祈らず
    彼岸に渡る力欲し
わが荷を 軽くする
  慰めあらずとも
    かくて荷ひ堪はむ
      幸はふ日には うなだれて
      君がみ面を見ばや
      辛き夜には 世を挙げて
        欺くもよし
      君をゆめ 疑ふまじ
                      前掲書