物作りの心

先日yokuyaさんにいただいたチーズ。
スプリングフラッシュという
春の萌え出ずる牧草を食べた牛の乳で作った
最高級のチーズを送っていただいた。
早速、封を切って食べたのだが
日記をさぼっていて載せ忘れていたので
改めて...


カマンベールは、そのまま食べたり、ちょっとあぶったり
ゴーダチーズは、生ハムや海苔で巻いて...
クリームチーズは、蜂蜜で練ってから
全粒粉のクラッカーに載せて、手作りのジャムをのせて...
それはそれは、香りも味も上品でふくよかで、とっても美味しかった。
牧草の生命力 牛の生命力 微生物の生命力...そして、チーズを作る人たちの生命力。
生命力のあふれているものは、やっぱり美味しい。
yokuyaさん ごちそうさまでした。


少し角度は違うのだが、物をつくる心について、先日読んだ『噛みきれない想い』に、こう記されている。

(著名なデザイナー 深澤直人氏の言葉を引いて)
「『こんなものでいい』と思いながら作られたものは、それを手にした人の存在を否定する」というのである。(中略)
人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージをいつも探し求めている生き物だ。
だから、「これは大事に使われなければならない」と思わせるもの、
あるいは逆に「手にとった瞬間にモノを通じて自分が大切にされていることが感じられる」もの、
それがよいデザインだというのである。
                  鷲田 清一 『噛みきれない想い』〜 デザインの思想

物作りは使うひとのことを大切に思う心から発していなければならない。
しかし、物が溢れる社会では、なかなかこういう物には出会えない。
そういう、おざなりな物や思想に囲まれて生きていると、自分が大切にされていないという寂しさに潰されそうになる

人間についてもきっと、同じことが言えるのだろう。
もうどうでもいいと、自分の体を傷つけたり、自暴自棄になったりするのは、
じぶんの身体を傷つけたり、自暴自棄になったりするのは、
じぶんのことを大切に思えないような状態のなかにいるということだ。
じぶんを大切に思う気持ち、これは昔から「自尊心」と呼ばれてきたが、「自尊心」もまた、
他人に大事にされてきた、ていねいに扱われているという体験を折り重ねるなかで、
じぶんはそれほど大切な存在なのだと知らされるところからしか生まれない。
                  前掲書

オジサンになったって、やっぱり誰かに大切にされたい。自分が生きている価値を認めてほしい。
だからこそ、人のことを認め、大切にする気持ちを常に持っていかねばならないと思う。
あらゆる生命の競演が生んだチーズを味わいながら、物作りのフィロソフィーに想いをはせた。