香り立つ人格

順序が逆転してしまったが、
先週末、N響の演奏会に出かけた。
最も素晴らしかったのは、
庄司紗矢香のソロによる
プロコフィエフ作曲ヴァイオリン協奏曲第1番
10代から国際コンクールの舞台に躍り出て
世界の名だたるオーケストラと共演してきた...
堂々たるたち姿、深く美しい音色に魅了される。
アンコールで演奏された、
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ
イカリエンテが若き日より数えきれないほど聴いてきた曲だが
これも圧巻だった。。。いつか、彼女の演奏でもっと聴きたいと思う。



NHKホールに向かう途中、代々木公園で終わりかけの薔薇を見る。
今年は、どこか薔薇園を見たいと思っていたがいつの間にか薔薇の季節も終わりにさしかかっていた。

  君が花 石川 啄木


  君くれなゐの花薔薇(はなそうび)、
  白絹かけてつつめども、
  色はほのかに透きにけり。
  墨染衣袖かえし、
  掩(おお)えども掩えどもいや高く、
  花の香りは溢れけり。


  ああ秘めがたき色なれば、
  頬にいのちの血ぞ熱(ほて)り、
  つつみかねたる香りゆゑ
  瞳に星の香も浮きて、
  佯(いつわ)りがたき恋心、
  熄(き)えぬ火盞(ほざら)の火の息に、
  君が花をば染めにけれ。

薔薇の香りが、覆えども覆えども溢れ出てくるように
止むにやまれぬ思いというものは、溢れ出てくる。
人それぞれが持つ薫りもまた、覆い隠せるものではない。
美しい人格は、意識しなくとも人を潤し幸福にさせるし
卑しい人格は、周囲を不快にさせる。
人格とは、そう単純なものではないが、香りと同じように様々な微量要素が重なり合って
その人にしかない複雑な香りを発しているようである。
しかも、そこには人それぞれの傾向性を帯びている。
他人はともかくとして、自分はいかなる香りを放っているのであろうかと考える。
惰弱で怠惰な自分には、未だ人の嗅覚に訴えるような香りなどないに違いない。
野に咲く花も、眼には見えぬ地中に深く根ざして一輪の花を咲かせる。
人もまた、人知れぬところに根ざして人格を高め、風雪に耐えて自身を強くしなければ
香り立つような一個の人間にはなれない。
それが自然の道理であり、生命の道理である。


山本周五郎の『日本婦道記』を読み、薔薇の香を思い出しているうちに
そんなことを考えていた。
小説については、また後日に....


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おまけ...庄司紗矢香の演奏で...プロコフィエフがみつからなかったが、これも素晴らしいので↓
 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲第1番 第3楽章