『外套』

外套・鼻 (岩波文庫)
ロシア文学の原点とも言われる名作。
ドストエフスキーは「我々はみなゴーゴリーの外套から出た」と語ったといわれている。
19世紀後半のロシア...あまりにも大きな貧富の差、明暗のはっきりした社会。
アカーキー・アカーキエウィッチは、九等官という最も位の低い役人である。
仕事は、朝から晩までひたすら書写をすること...

こんな自分の職務を後生大事に生きてきた人間がはたしてどこにあるだろうか。
熱心に勤めていたというだけでは言い足りない。それどころか、彼は勤務に熱愛をもっていたのである。
彼はこの写字という仕事の中に、千変万化の、楽しい一種の世界が見えていたのである。

貧しい中にも、ある意味満ち足りた毎日。字を写す以外に何物にも興味がなかった。
しかし、彼にとってある日大きな事件が起こる。
それまで長年、修繕しながら着てきた外套が、とうとう修繕不可能なまでに痛んで擦り切れてしまった。
その外套は、役所仲間の間では半纏と呼ばれ、馬鹿にされていた。
ペテルブルグの厳しい冬を過ごすには外套なしでは考えられない。しかし新調する金などどこにもない。
400ルーブルの年収に対して、仕立屋は150ルーブルとふっかける。
最終的に80ルーブルまでまけさせるが、それでも貧しい彼にとっては気の遠くなるような大金である。
そこから、貧しい生活をさらに切り詰めた生活が始まる。食費を切り詰め、洗濯を切り詰め...
しかし、彼の中にはある種の生きがいが生じてくる。

...毎晩の空腹にすら、彼はすっかり慣れっこになった。
けれど、そのかわりにやがて新しい外套ができるという常住不断の想いをその心に懐いて、
いわば精神的に身を養っていたのである。
この時以来、彼の生活そのものが、何かしら充実してきた観があって...(中略)
...その顔つきからも振舞いからも、いつとはなしに、疑惑の影や優柔不断の色...
一言にしていえば、一切のぐらぐらした不安定な面影が消えうせたのである。

金を貯めながら、生地を選びにいったり仕立屋と打ち合わせをしたり、その生活は歓びに満ち
賞与で思いもかけず、かなり多い金額を受け取ったときには最高潮に達する。
そして、とうとう念願の外套を手にする。
新しい外套での初出勤の日、役所では噂がひろまり、上役の家でそのお祝をしてもらえるとこになる
しかし...
酒に酔って、目抜き通りの上役の家から辞して、貧民街の暗い道に入っていったとき
強盗が現われて、その外套を引き剥がして行ってしまう。

一瞬にして絶望の淵に突き落されるアカーキウィッチ
警察に届けても相手にされず、初めて仕事も休んでしまう。
同僚が気の毒に思ってカンパを集めるが、外套を作りなおすには程遠い。
同僚の勧めで、ある有力者に依頼に行くが追い払われ、放心したように街をさまよって帰るが
扁桃腺を腫らして高熱を発し、ついには医者にも見放されて死んでしまう。

だれひとりからも大事にされず、だれにとってもたいせつではなく、またなんびとの興味に値せず
つまりきわめてありふれた蠅をピンでとめて、顕微鏡でのぞいてみねば気のすまないような、
生物学者の注意すらひくことのなかった一個の存在(中略)は、
今消え失せ、姿を消してしまったのである。

権力者というものは、いつの時代も弱者をいじめたがるものである。
イカリエンテは、以前からこういう手合いを見るとどうしても黙っていられないので、
散々帰り討ちに遭っていじめられてきた。
会社の中で、上司が部下を見下し、馬鹿にし、罵倒する姿を毎日のように目にして嫌な気分になる。
筋道立てて指導をしたり、激励したり、褒めたり...そういうまともなことができないのか?
少しばかり権力を握ったり、立場が上になったりすると、自分自身が偉くなったと勘違いする人間があまりにも多い。
イカリエンテの知り合いの、ある超一流企業の元常務Kさんは、素晴らしい人格者で常に腰が低い。
絶対に人を見下したりはされないし、若い人間に対しても本当に丁寧にお付き合いをしてくださる。


勘違い人間どもが企業を硬直させ、役所を腐敗させ、国を停滞させているのではないかと思う。
『外套』が何故ロシア文学の原点と言われるのか、深い意味はわからないが、
腐った権力をたたき切ろうという精神がそこにあるからではないかと思いながら、
短く悲しい小説を読み終えた。