最期のひとこと

日記を書けないような不本意な日々。
ジメジメした地下室での仕事は、今の自分を象徴しているようだ。
このままではいけない。早くこの闇から脱出しなければならない。

『替天行道』を通勤電車で読み始める。

替天行道 北方水滸伝読本 (水滸伝) (集英社文庫)

替天行道 北方水滸伝読本 (水滸伝) (集英社文庫)

いくつもの名場面。男たちの戦いが蘇ってくる。
つまらない日常を書いても、あとでうんざりするだけなので、今日は引用だけで...

全く、どうして、こんなにも北方「水滸」に魅せられてしまうのか。
それは物語に出てくる男たちが、みな精一杯に生きているからだ。
精一杯生きると同時に、精一杯死んでいくからだ。と、私は思っている。
精一杯死ぬ、というのは変な言い方だが、それが一番私にはしっくりと来る。
                     『北方「水滸」に首ったけ!』 吉田伸子

吉田氏は、数多の死の中から、楊志と雷横について語る。


楊志については、以前ムイカリエンテもこの日記に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20070817
雷横は、梁山泊のリーダー宋江と同じ町の出身の軍人である。志を抱いて梁山泊に合流する。
敵の大軍から、宋江らを守るために囮になり闘いきって、数千の敵を一身に引き付ける。

走る。命の終わりの時だ。思うさま、駆けられるだけ、駆けまわりたい。
追いすがってきた敵兵を二人、一刀で斬り落とした。囲みきれなくて、敵が慌てはじめた。
よく見ろ、これが梁山泊の雷横だ。挿翅虎と呼ばれた、雷横だ。
空を飛ぶ虎。そう呼ばれるわけを、いまから見せてやる。
雷横は馬を棹立ちにし、方向を変え、敵の先頭に向かった。ぶつかった瞬間四人を斬り落とした。
・・・・・
ほとんど快感に似たものに、雷横は包まれていた。五百騎を、六百騎を、ひとりで引きまわしている。
                               『水滸伝』第7巻 烈火の章 

ついに馬が潰れ、地に落ちる。雷横の剣を恐れた敵は、弓矢と槍をいっせいに浴びせる。
膝に矢を受ける。胸に腹に槍が突き立つ。

俺は、まだ立っている。雷横は思った。男は決して倒れたりはしないのだ。
また、槍が投げられてきた。どこに突き立ったのか、よくわからなかった。
視界が明るかった。空なのだ、と雷横は思った。
ということは、もしかすると自分は倒れているのか。立とうとした。視界が暗くなり、また元に戻った。
馬の腹が、視界を通りすぎていった。
音など、なにも聞こえない。雷横は、空を見続けていた。愉しかったな。ただ、そう思った。
また、視界が暗くなった。
                               『水滸伝』第7巻 烈火の章

「愉しかったな」この一言を読んだ瞬間、胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、しばらくの間、次の文字が追えなくなってしまった。
その時、確かに私の耳には、雷横の声が届いていた。・・・・
数多の男たちが死んで行く。志のもとに、信のもとに、義のもとに、男たちは命を散らせるのだが、
みな、一様に、いい顔で死んでいく。
それは、彼らが精一杯生きた証であり、精一杯死んだ証しでもある。
誰かの心の中で生き続ける限り、その人間は死なない。
                       『北方「水滸」に首ったけ!』 吉田伸子

精一杯生きて
精一杯死ぬ
最期のひとことは、「愉しかったな」


格好よすぎるな。
何が違うのだろう?いまの自分と...