どうしようもない人々

外国文学は苦手である。
第一に、訳の日本語が読みにくい。そして、名前が覚えにくい。
特にロシア文学
ドストエフスキーの短編は読んだことがあるが、長編はことごとく挫折している。


いつかは読まねばと思っていたが、最近こんな本を見つけた。
斎藤孝著 『ドストエフスキー人間力

ドストエフスキーの人間力 (新潮文庫)

ドストエフスキーの人間力 (新潮文庫)

本屋で序文を読んだだけで、これは面白いと思って購入。2日で読了。

序文で、現代日本の問題として、人間のパワーが年々減退していることに触れながら、斎藤氏はこう続ける。

私がドストエフスキーに引き込まれる一番の理由は、
その作品に出てくる人々が「どうしようもない人々」というところだ。
どうしようもないという言葉は、なっていない、非社会的で逸脱しているという意味も含んでいるが
それ以上に、周りの人がその人に対してどう手を打っていいのかわからないというほどに
過剰なエネルギーを持った人々というニュアンスをこめたい。(中略)
どうしようもない人々が描かれているだけではない。その人たちが実に堂々と振る舞っている。
普通ならば、社会からはじかれてしないそうな人々が、むしろ中央にい場所をしっかり持ち、
周囲の世界の密度を濃くしていく。

ドストエフスキーの小説のエッセンスを、思わず笑ってしまうような文章で解釈していく。
表紙の帯では、ドストエフスキー研究の第一人者、亀山郁夫氏が絶賛している。


罪と罰』『白痴』『地下室の手記』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』...どの小説をとってみても
過剰に卑屈な男 過剰に同情的な女 過剰に卑劣な男 過剰に男を揺さぶる女 過剰に素朴なモテ男
過剰に好色な男 過剰に兇暴な男 ...過剰な人々のオンパレードである。
まさに「どうしようもない人々」なのである。


過剰な人々は、周囲に臭いをまきちらす...でも、そのにおいが刺激になり、癖になったりする。
チーズ好きな人が、どんどん癖の強いものにはまっていくように...
罪と罰』の主役ラスコーリニコフは、読んでいて気持ち悪いくらいにかなり屈折した青年である。
金貸しの老婆を殺してしまうのだが...
このとんでもない青年を周囲の人々はなんとか助けようとする。取り調べをする刑事までもが...
この過剰なひきこもり男、不思議と人気者なのである。


去年まで世話になったベンチャーの社長M氏。この人もかなりの臭いを放つひとだが...
「ムイカリエンテ君の性格では、サラリーマンは無理やな〜」とよく言われ、可愛がってもらった。
明らかに違うにおいなのだが、やはり過剰な同士通じるものがあった。


安部公房(ムイカリエンテがなぜか高校時代に愛読した作家)の手記

ドストエフスキーという作家のすごいところは、
どんな人間でもこの世に存在していいんだということを教えてくれたところにある。

ドストエフスキー ますます読みたくなった。