偶然と必然

イカリエンテは、今日が仕事始め
あきる野で社内打ち合わせ。
いつも崖っぷちを歩くようなぎりぎりの緊張感で闘ってきたが
闘いは止むことがない。今年も全力で走るのみ
打ち合わせの後、寿司屋で皆で食事。
とても盛り付けのきれいな料理ばかりだったのだが
真剣な話をしている時に、やっぱりカメラは出しにくい。
で、今日も写真掲載はできず。
自分を含めて4名の顔を見ながら、
よくもこんなに多種多様な人間が集まったものだと思い
先日ブログに載せた『命の器』を思い出した。
歩いてきた道も、性格も全く異なるけれど
やはり人間の核の部分に同じものを持っているのかな〜と考えてみる。
イカリエンテが、ここにいるのもSさんとの一瞬の偶然の出会いからだった。
偶然に偶然が重なって、前職のときにたまたま現場で会ったSさん
某上場会社で営業をしていた彼が今の事業に参画したころに
たまたまムイカリエンテがリストラで会社から切り捨てられ
そこでSさんから引っ張られた。
あの偶然の出会いがなければ...と思うと、必然であったようにも思える。

信仰も思想も、元は人間の幸福のために生み出されたものに違いないだろう。
けれども、いま現代は、人間に活力をもたらす哲学が姿を消してしまった。
「命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。
この思想は宗教的である。」これは小林秀雄の「モーツァルト」の一節である。
どんな不幸をも内的必然と観じ、それと闘わしめる哲学を、
そろそろ人は求め始めるのではないだろうか
    宮本輝著『命の力』より 潮音風声-人間の力

ここに引用される小林秀雄の言葉は、最初に読んだときからずっと心に残っていて
機会あるごとに人に話してきた。
外的偶然...予期せぬ出来事、人との出会い...人生、予期できるわけがないのだが...
それを命の中で醸成し、熟成し、内的必然と捕らえる力
そんな力を引き出す哲学が、人間を強くし、幸福に誘導する。
何事も起こらない人生が幸福なのではなく、
何事が起こっても負けないことが幸福であるに違いないから。