蒼空を見上げて思う

最近、空の写真を撮ることが多くなった。
田園の風景に触れることが多くなったからだろうか...
秋の空はどこまでも青く高い。
この空を見ながら石川啄木の『一握の砂』を思い出し
自宅の本棚から引っ張り出して読み返す。

年若き旅人よ、何故にさはうつむきて辿り給ふや、
目をあげ給へ、常に高きを見給へ。
かの蒼空にまして大いなるもの、何処にあるべしや。
如何に深き淵も、かの光の海の深きにまさらず
如何に高き穹隆もかの天堂の高きに及ばじ。
日は常に彼処にあり。
たとへ何事を忘るるとも、
わが頭の上の限りなき高さを忘れ給ふことなかれ。
常に目を上げよかし。
よし其の為に、足路上の石に躓きて倒るるとも、
其傷の故になんじの生命を危うくすることなからむ。
蛇ありてなんじの脚を噛むとも、其毒遂に霊魂の花までも枯らすには至らじ
けだかき百合の花は下見てぞ咲く。然れども人々よ、よく思へかし、
人の目にふれぬ荒野の百合だにも、其生ひ立つや、茎は皆天を指す也。

青年よ、何があってもうつむいて歩くな!
堂々と胸を張って、空を見上げながら
高きを目指して闘え!
目の前の小さなことに惑わされるな。
何があろうと、たいしたことではないのだ。
天を指して一心に成長することだ...
啄木の叫びが胸に迫る。
日々の苦闘をなめた人間の力強い言葉である。
「かの蒼空にまして大いなるもの、何処にありや...」
その答えはユゴー箴言にある。 

海よりも広いものがある。
それは空である。
空よりも広いものがある。
それは人間の魂の内部である。
   (ヴィクトル・ユゴー

本来、人間の魂の内面は広大無辺であるはずだが
現代の物質主義の社会では、それを狭小にしてしまうことばかりである。
金や物が手に入るだけの相対的な幸福は
やがて色あせてしまう。
 

もういちど窓を開けよう!
英雄たちの息吹を吸おうではないか!
   (ロマン・ロラン)

何があろうとも大空を見上げながら
日々自らの弱さと闘いながら
魂を本来の広さに拡大していくことだ。
雨の日も嵐の日も
雲をつきぬけた大空の上には
太陽は燦燦と輝いているのだから。