闇に咲く花

夕闇の気配とともに、小さな蕾が膨らんではじけた。
嬰児が握りしめた拳をおそるおそる開いていくように
五弁の花が開き、絡み合った繊毛がゆっくりゆっくり開いていった。


仄暗い闇のなかで、カラスウリの花はひとつまたひとつと咲いていった。

外灯もない草叢のなか...闇は濃くなっていく...
花がどこにあるのかさえ判然としなくなったとき
突然、レースを纏ったような妖艶な花が、闇の中にふわりと浮かび上がった。
空を見上げると、くもの切れ間から十三夜の月が煌々と青い光を放っていた。
星が、ぽつりぽつりと瞬いていた。


ああ、そうだったのか
そのとき、ひとつの謎が解けたのだ。
こんなにも寂しい夜に咲くのは
この空を...この宇宙の煌めきを見上げるためだったのだな


昼間は太陽の眩しさで掻き消されてしまう宇宙の姿が
いまはこうして何万光年の彼方まで見わたせるのだもの...
花は、一心に空を見上げていた。


あの星々も、漆黒の闇の中から生まれてきたのだ


ふと闇のなかを歩いていた日々がよみがえる…
宿命になぎ倒されて地を這うように生きていた日々を...
前途には闇しかなかった。
星を見上げることさえできなかった。


それでも無数の天体は、頭上に輝いていたのだ。
時が過ぎて、闇に目が慣れていったとき、
明るかった時には見えなかったものが少しずつ見え始めた。


やがて、星がひとつ ふたつと降り始めたのだった。
それは、自分を護ろうとする人々の想いであった。言葉であった。
そして、ふと気づいたのだ。
この広い宇宙が、僕のいのちのなかにもあるということに...

星    山村暮鳥

わたしは天(そら)をながめてゐた
なつのよるの
海のような天を


陰影の濃い
日中のひどいあつさはどこへやら
よるの涼しさにひたつてゐると
まるで青い魚のやうだ
かきねのそとでは
ひょろりと高い蜀黍(もろこし)が四五本
水のやうなそよかぜ
広葉をばさばささせてゐる
さかりのついている豚が小舎からぬけでて
ぶうぶううろつきまわってゐる
きまぐれなきりぎりすが一ぴき鳴いてゐる
もう秋が
すぐそこまできてゐた


こどもをねかしつけてゐた妻が
こどもがねついたので
跫音を盗むようにそこへでてきた
すつかり晴れましたね
わたしはだまってゐた
なんて綺麗なんでせうね
いつみてもお星様は
わたしはそれでもだまつてゐた
わたしはそれをうるさいとさえおもつた
すつきりと澄透つた心を
掻きみだされたくなかつた
わたしは天をながめてゐた

(中略)

星はもう
どれもこれもみな幸福さうであつた
みな幸福にみたされてきらきらしてゐた
おほきいほし
ちひさなほし
一つぽろりとひかつてゐるほし
たくさん塊つてゐるほし
わたしはうれしくつてうれしくつて
なみだが頬つぺたを流れた
妻をみると
妻もまた瞼をぬらしてゐた

(後略)


カラスウリの花の上で、宇宙は静かにまわっていった。


僕は、掌を合わせて星空を見上げた
いま闇のなかをうつむいて歩いている友のことを想った。
そして祈った。
友のうえにも、星が降り注ぎますように...
自らのなかに星が眠っていることに気がつきますように…
そう信じることができたら、宿命は、きっとねじ伏せられるのだ


視線の先の星がひとつ...うなずいた気がした。


山村暮鳥全詩集 (1964年)

山村暮鳥全詩集 (1964年)