山本周五郎『栄花物語』

今週末は天気が悪くて
憂鬱な気分のまま、外に出る気にもなれず
家で読書をして過ごした。







栄花物語 (新潮文庫)

栄花物語 (新潮文庫)

田沼意次といえば、わ賄賂政治の代名詞のような悪玉のイメージしかなかった。
しかし、山本周五郎はその一方的な見方を見事に転換している。
樅の木は残った』で、伊達騒動の黒幕とされた原田甲斐の人間像をひっくり返したように
田沼意次・意知父子の闘いを描いている。
太平の世で腑抜けになった武家社会と、商業資本の台頭の先行きを危惧し
周囲の反対を押し切って改革を推し進める真摯な生き方
その生き様に触れて共鳴する人々...
しかし、世間には悪評だけが流布していた。その後の歴史にも...

意次の執る政治はいつも不評であった。現にはっきりと効果のあがっている政策さえ、
彼を誹謗する材料に使われた。
譬えていうと、彼は人のために家を建てるが、逆にその家に住む人から汚名を着せられる工匠に似ていた。
しかし決して屈服しない、踏まれても敲かれても、彼はつねに政治に打ち込み、
次つぎと新しい政策について計画を進めるのであった。
どんなに悪意のある非難や攻撃にもめげず、黙々と自分の信念をつらぬいてゆく意次の姿に
お滝はやがて壮烈という印象さえ与えられた。

自邸には殆ど戻らず、息子の意知や側近とともに、江戸城に詰めて寸暇を惜しんで政策を立案していった。

「今年は花を見ようと思っていたが」
意次はひとり言のように言った。
「もう忘れるほど昔から、来る年も来る年も、今年こそ花を見ようと、思いながら、
考えてみると庭の花を見るいとまもなかった、これは御奉公大事というよりも、
私自身の好みかもしれない....
これからも、生きている限り、こういう生活が続いてゆくことだろう、
こういう生活のほかに、私は生きることができないのかもしれない」

賄賂政治で"栄華"を極めたと悪口罵倒されたのは、
商人から賄賂を受けて安閑としていた一部の権力者にとって都合の悪い改革を
推し進めたことによる反感によるプロパガンダ
実際には政治改革に心血を注ぎ、花を愛でる暇さえなかったということから
"栄花"という題名にしたという。
事実はわからないが...
世間の評価ばかりが気になって、大事な決断もできないような人間は
政治をやるべきではない。


闘っても闘っても認められることはなく、かえって反対派の反感を買い、命を狙われ...
意次に賄賂を贈ろうとして拒絶した相手に息子を斬られ...
意知を斬った小物は英雄視され、斬られた意知は遺体に向かって石を投げつけられる。
陰湿な権力機構の中で最後は敗北していくのだが、敗北を覚悟しながらも、
自分の道を信じ、絶体絶命の困難にも屈することなく最後まで闘い続ける姿は美しい。
「この世に生きている以上、あらゆるものが無傷ではいられない...」
この小説の最終章の部分で、出てくる台詞...
これは山本周五郎のつぶやきであろう。
ならば、傷を負ったときに、どうするか...そこに人間の真実の姿が出てしまうのだろうな。
自分は、あまりにも弱く脆い。


本とは関係ないのだけれど...偶々YouTUBEを見ていたら、
剣道日本代表の「栄花」選手のドキュメンタリーが出ていた
彼の強さは、勝ち負けを意識する剣道ではない、必殺の一撃。
本来、真剣勝負は一撃で生死が分かれるからだ。
そして「逃げない心」...ムイカリエンテも学生時代10年間剣道をした経験かあら感じるものがあったので、
リンクを貼っておきます。
(1~3までありますが、3のみ...ご興味のある方は1からご覧になってください)