夜明け

昨日登った山頂から日の出を見るため
6時に起きて、標高106mの展望台への
急な坂道と階段を一気に登っていく。
最低気温-5℃の予報だったので
寒さ対策をしていったが、
途中で汗だくになってしまう。


息を切らしながら山頂にたどり着いたときには、すでに空が白んでいた。
しかし、水平線は厚い雲の帯で覆われていて、水平線からの旭日は望めない。
日の出の時刻がすぎても太陽は姿を見せない。
...が、旭日の昇りゆく速度を何度も見てきたので、間もなく見せるであろう太陽の方向にカメラを向けて待つ。
雲の薄い部分から真っ赤な光が漏れる。
なんという赤...そこだけ焼けて融け落ちそうな熱を含んだ赤...


その一瞬の赤が褪せたと思った刹那、雲の上辺から一条の光が漏れる。
満を持して太陽が姿を現す。海が黄金色に光り、天空が朱に染まる。
ああ、なんと力強く美しい姿。
人が一喜一憂し、思い悩み、右往左往している間にも、休むことなく太陽は昇り続ける。
震災のあった日も、その後も...毎日、毎日..軌道を外すことなく昇り続けている。
雲に覆われようと、雪が降ろうと...雲の上にはかならず太陽がある。
それが、どんなに心強いことか...


北側に視線を移せば、そこは昨日通った野蒜海岸とあの大きな水たまり...
後で調べたことだが...東松島市の震災による死者は1,047名行方不明66名と、際立って多い。
太平洋の波を弓なりの地形で受け入れ、どこまでも平な地形を考えれば、
津波は一気に待ちを打ち壊したはずで..逃げる間もなかったのだろうな。


山を降り、朝食を済ませてからタクシーに分乗して民宿を出発する。
自宅に送る荷物を送る手続きをしながら、若旦那と少しお話しをする。
その優しい眼には、地獄を見て来たものの強さと、一歩前に踏み出したものの凛々しさが漂っている。
一歩踏み出したことで、新たな戦いが始まっているのだ。
今回のことが皆さんの心の復興の一歩であってほしいと祈りながら手を振って別れた。


再び被害の大きかった海岸沿いを走って松島に向かう。
伊達政宗が建造した貞山掘という運河を渡るとき、
ここに多くの遺体が流れ込んだと、タクシーの運転手さんがぽつりとつぶやいた。
その運河は両岸を少し残して、水面が白く凍りついていた。
この運河で津波は少し緩衝されたようで、運河から内陸側は、家が残っている。


松島遊覧船に乗って島めぐりをして...


塩釜港で降り、復興市場を見てから仙石線で仙台へ...

牛たん本舗で美味しい牛たんをいただき(写真上)皆と別れて駅前へ...
2年前長浜時代に一緒に仕事をしていたMさんが、宮城県にいることが最近になってわかり
新幹線に乗るまでの自由時間に会う約束をしていた。
お互いの近況や当時の仲間の近況など...1時間ほど話す。
兵庫県出身の彼女は、宮城の大学を出て滋賀に就職したわけだが、経営が立ち行かなくなり解雇。
大学の先生の紹介で宮城の会社に就職し戻ってきた。
イカリエンテの息子と同い年の彼女に「ブログたまに読んでいます」と言われ、
これまでに感じたことのない程の恥ずかしさを感じる。
彼女も大変な状況のなか、前向きに前向きに頑張っているのだ。負けてはいられない。
仙台名物の「ゆべし」をお土産にいただき、駅で別れて新幹線ホームで大学メンバーと合流。


わずか24時間の滞在だったが、いろいろなことを感じた旅だった。
出会った皆さん..ありがとうございました。
皆様の心に、あの美しく力強い太陽が昇りますように...お祈りしております。