昇仙峡

今日は山梨まで出張。
中央線が山梨に入ったあたりから
窓の外は雪景色→
南アルプス市の某半導体工場に行き
新規案件の技術説明。
甲府でレンタカーを借りて行ったので
車を返す前に、ちょっと寄り道
昇仙峡へ...


冬の平日...しかも夕方。入口の土産物屋はすべて閉まっていて、人影すらない。
川沿いの道をゆっくりと登っていく。
岩、岩...そして岩...山そのものが巨大な岩の彫刻のようだ。
中国の山水画の世界に迷い込んできたような景色...


途中で車を降りて、細い道を歩いていくと、その滝は突然視界に入った。


巨大な岩の裂け目から滑り落ちてくる滝は、轟音とともに飛沫をあげ、そのまま凍って風に舞う。
枯れ木に囲まれて色のない風景の中で、滝坪を囲む岩だけが、白くぽっかりと浮かびあがる。

モノトーンの何もない景色の中に、ただ滝の音だけが絶間なく響く。
この水は、いつから流れ続けているのだろう...ふと、そんなことを考えてみる。
何百年..何千年...? そしてこれからも、流れ続けるのだな。
そう思えば、自分の生涯などなんと短く儚いものだろう。
見渡す限り誰もいない空間の中で、この空気を全身で感じながら立ち尽くす。

希望なく愛することは
絶望ではない。
無限においてしか結ばれないことを
意味するだけだ。
星は途中で消えたりはしない。
与えて
与えて
あたえ尽くすことができる。
   サン=テグジュベリ『星の言葉』斉藤孝訳


星は途中で消えたりしない...


大空を見上げてあるく人の視界の中には、いつも映っているんだ。