激しき雪が好き

不眠状態が2週間ほど続いている。
毎日朝4時頃までは眠れない。
起床は8時〜9時頃なので
寝不足という程ではないのだが..
夜布団に入って寝ようと思っても
寝付けないまま時間だけが過ぎていく。
以前のように、
不安に苛まれる状態ではない..何故だろう...
諦めて本を読んで過ごすことにして、図書館でまとめて本を借りてきた。


野村秋介獄中句集『銀河蒼茫』
朝日新聞社で自決した右翼、野村秋介はのべ18年間を獄中で過ごし多くの俳句を残した。
右翼の思想自体は別として、彼の言葉は壮烈で美しい。

俺に是非を説くな激しき雪が好き


昂然とゆくべし冬の銀河の世


雪の夜の壁に貼りつく汽笛の尾


蒼空へ蝶は涙となりにゆく


拝啓と書いてしばらく聴く時雨

澄みきった心...悲壮なまでの覚悟...


革命のためには血を流すことも辞さなかった右翼の思想と行動自体には
全く共感するものはないけれど、
青年らしい純粋な一句一句には、感銘をおぼえる。


野村氏があとがきにおいて、師の句との出会いについて語る部分

三上卓先生の俳句に、
  野火赤く人渾身の悩みあり
という名句がある。私がこの句と出会ったのは、いつ頃のことなのだろうか。
ようやく、人の一生の意義について自覚を持ち始めた頃だと思う。(中略)
以後、今日に至るまで、この俳句は私の心を曳きずり続けて来ている。
野火が、赭々と燃えさかる夜闇の中で、「渾身の悩み」をひめた三上先生が、
凝然と野火を直視されている面影は、私にとっては、常に生き方の<原点>として存在した。(中略)
悩みといえば、自分を中心にした、利己的な悩み以外考えてみたこともなかった私は、
ここで、初めて大悲の何たるかを知る。二十三歳位であったろうか。
辞書によると、大悲とは衆生の苦しみを救わなくてはならないとする、仏陀の悲しみのことだとある。
考えてみれば、宗教は勿論、政治にせよ思想にせよ、つまるところはここから出発しなくては意味がない。

幕末のような乱世であれば、英雄であったかもしれないな。
方向性さえ過たなければ...この方向性が大事なのかもしれないが...
民衆のために"渾身の悩み"を抱く心は美しいと思う。
少なくとも、自己の利益しか考えない政治家や企業や役人や個人よりも...


中上健次氏はこの書の冒頭部分で、
野村氏の句の言葉の美しさを、いくつもの「断念」から発していると説く。

ここには二重三重の断念がある。"われ"は何より身体の自由を奪われて、獄舎に囚われてある。
"われ"にしてみれば、公憤に発した行動が強権によって歪められ、
公憤の器たらんとする"われ"が今、ここに囚われてある。
恩師の百年祭に誰よりも早くはせ参じなければならぬのに、囚われてある故にかなわない一等の断念は、
<在(おわ)>さなくなった<師>への、嘆いても嘆き足らない心情の断念である。
幾重もの断念によって圧縮され、熱を持ち広がった野村秋介氏の句は、これが今、
私たちの同時代人の手になるにもかかわらず、記紀や万葉の時代の古人の嘆きや憤怒と同じ
近代の垢にまみれていない、太いおおらかな魅力を発する。

不条理から生まれる人間の真実か...
自分は弱く小さく汚れた人間かもしれない。
しかし、垢にまみれない純粋な部分をひとつだけでも自分の中に残しておかねばならない。
そこからしか人間として生きた真実の花は咲かないから...