見えてくるもの

地震から3日間...テレビでは、あまりにも刺激的な映像が繰り返し流れ続ける。
一瞬にして起こった生死を分ける災害...
報道の在り方や政府の対応を見ながら、いろいろな事を考えた。
何度も日記を書いてみたけれど...何を書いても軽すぎるように思う。


混乱する現場、大津波の映像を呆然と見続ける安全地帯の人々
刺激的な映像を争って撮りに行く報道の人々...
原発は、大丈夫だ大丈夫だと言いながら次々に爆発を起こし、
1000μSv/hくらいの放射能は、一瞬だから大したことないなどと思うように仕向けられ
被災地の人たちが可哀想と言いながら、都会の人々は自分の腹を満たすため
我先にとスーパーで食品を必要以上に買い占める。
乱暴な輪番停電に振り回されて首都圏の交通は破綻し、電車が動いていないのに
何時間もかけて通勤しなければいけない人々...


いろいろなことが見え続けているように思える。


人命に対して甚大な被害を及ぼしかねない危険な施設で、
想定外の地震などという言い訳は、絶対に許されない。
事が起こってから、電力がない、水がない、ポンプがない..
今一生懸命やっている...計器が信用できない...大した放射能ではない...
人間の命をどれだけ軽く見ているのだろうか?
現場で修復作業をしている人にだって、尊い命があるし家族だっているはずだ。
一番危ない現場で被爆しながら作業を続けている。爆発事故でけが人も出ている。
遠く被害の及ばない場所で「ただいま確認中」を繰り返す役人の他人事のようなコメント
自分たちの管理の不手際で壊してしまった原子炉の後始末が、放射能漏れを引き起こし
大事故になる可能性だって、未だなくなってはいない。
温度がおさまったとしても海水漬けになってしまった原子炉を修復するのに
どれだけの時間とコストがかかるのか...
そして、失った信用をどうやって取り戻すのか?
地震は天災だけれど、原発は間違えなく人災だ。


すべてのことに意味があると言うが...
こんなにも多くの人命が一瞬にして消えてしまったことに何の意味があるのか?


瓦礫の下で息をしながら救援を待つ人を想像してしまう。
溺れて息たえた人、焔に包まれて...押しつぶされて..叩きつけられて..流されて...
ニュースでは無造作に数字だけが読み上げられるけれど
ひとつひとつの命に、人生がある。家族があり友人があり愛する人がある。
昨日は、そんな事を思いながら眠ったら息苦しくて目が覚めた。
亡くなった方々のご冥福を祈り、息ある方々の一人でも多く救助されることを切に祈る。
そして、救助に当たっておられる方々が身体を壊されないように...
被災された人々が苦難を乗り越えて、幸福な日々が戻ってきますように...