約束

今朝も冷え込んで霜が降りた。
しばらく、寒い日が続くようだ...

元旦と二日は、ずっと出掛けていたので
今日は、ずっと本を読んでいた。
午前中は自宅、午後はミスド
そして、また自宅で...
年末に読みだした宮本輝の『約束の冬』
今日は最後まで読むと決めて、最終章を深夜に読み終わった。


約束の冬(上) 約束の冬(下)
8年ほど前に初版が刊行され、すぐに読んだ。
その後も一度くらい読んだかな...
今回は、本棚からなにげなく引き出して読みはじめた。


文学作品を深く感じるには、それなりの時間や年齢や経験や...
そんな人間としての深まりを必要とする場合があるように思う。
最初に読んだ時に感じとれなかったことが、いまわかるような気がする。
そして、タイミングだろうな。
心が疲れきって、病まで引き起こしてしまった今...
自分の生命は、生きるよすがとしての言葉を暗闇の中で探し求めていた。
乾いた砂に水が浸み込んでいくように、生命の中に入ってくる...
読み進めるうちに
ああ、まさに今読むべくして読み始めたのだと確信していった。


氷見留美子は、10年前...23歳のとき引っ越した東横線沿線のある街で
見知らぬ年下の少年から手紙を手渡された。

「空を飛ぶ蜘蛛を見たことがありますか?ぼくは見ました。 蜘蛛が空を飛んで行くのです。
 十年後の誕生日にぼくは二十六歳になります。十二月五日です。
 その日の朝、地図に示したところでお待ちしています。
 お天気がよければ、ここでたくさんの蜘蛛が飛び立つのが見られるはずです。
 ぼくはそのとき、あなたに結婚を申し込むつもりです。
 こんな変な手紙を読んでくださって、ありがとうございました。須藤敏国」

そして、その手紙には岡山県総社市の田園地帯の地図が添えられていた。
その後、留美子の一家はある事故で転居せざるを得なくなり..
そして10年後、再びその家に戻ってきた。
そんな場面から始まる物語...


山形などの田園地帯で、蜘蛛が空を飛ぶ現象を「雪迎え」という。
晩秋の小春日和の日に、青空の下を無数の綿のようなものが飛んでいく
昔の人は、正体も知らずにその不思議な現象を「雪迎え」呼び、
それが飛ぶと冬仕度をしたという。
ある種類の蜘蛛が生息範囲を広げるために
温かい日に空に向かって長い糸を何本も吐き出し、上昇気流に乗って空を飛ぶ。
ほとんどは数メートルで落ちてしまうようだが、
運よく気流に乗れば何キロも何十キロ何百キロも飛ぶものもあるという。
糸と糸が絡んで綿状になって空に浮いている様が雪に似ているらしい。
なんと健気な行動であろうか...
糸を出したからといって、遠くに飛べるとは限らない
飛びあがった後は風まかせ...ふいに止んでしまえば、そのまま落ちる。
何万分の一..否何十万分の一の確立で空高く舞い上がり遠くまで飛ぶが
途中で鳥に食べられてしまうものもある。
そして、落ちた先に何が待ち受けているかもわからない。


そんな健気な生命の働きと、十年後の「約束」をモチーフに物語は動きはじめる。
ゆったりした大河のような流れの中で
様々な人々が出会いと別れを繰り返しながら絡み合っていく。
そこには、じつに様々な「約束」が結ばれていくのだ。
宮本輝の小説の登場人物は、どの人も人格がすばらしい。
こんな人間になりたいという人物があらゆる場面に散りばめられている。
ストーリーの構築も見事である。
昨日、K君たちと食事をしながら、現代社会の不幸について話したところだが..
社会全体が豊かになり便利になるとともに失ってきたもの...
それを埋める答えが、ここにあるように思う。


最初の3ページで、胸倉をぐっと掴まれたように引き込まれていき
感動のシーンが次々と続いていく。
今日は下巻の後半を読んだのだが、次々と感動の波が湧きあがってきて
ミスドで下を向いたまま何度も涙を流してしまった。


読みながら「人間は、約束を果たすために生きているのだ」という言葉が
自分の中から、ふいに浮かび上がってきた。
それは本に書いてある言葉ではなく、心の奥底から湧きあがってきた。
言い換えれば「誓い」とも言えるのだろうか...
うまく言えないが、そんな想念が読み進めるうちに、益々強くなっていった。


自分は、どれだけの人たちと、いかなる約束をしてきただろう。
約束は、果たさねばならない。
また、新たな約束をしていかねばならない。自分自身とも...


作品の中に出てくる、ある登場人物が読む句...

雪迎え そは病むきみにかかりけり

それは、小さな生き物の、健気でおごそかな命の結晶が、
いま病と闘っている君にふりかかれという思いを詠んだものである。
その一行が自分に向けられたような気がして、また涙が溢れた。


宮本文学の中に、また生きるよすがを見出した幸せな一日だった。