宮本輝ミュージアム

イカリエンテが最も愛する作家宮本輝
同氏の出身校である追手門学院大学にある
宮本輝ミュージアムを初訪問。
若き日に出会ってから、ずっと愛読し
生きるよすがとしてきた作品の数々


広島から大阪に戻り
最後に行った客先が茨木市だったので
阪急の駅からスクールバスに乗って大学へ...
夕方の時間帯で、駅から学校に向かうバスは、ムイカリエンテ独り...
バッグに入っている『春の夢』のページをめくる。


大学生の時に、父親が大きな借金を残したまま亡くなり、取立て屋に追いかけられる日々...
宮本氏の学生時代をモチーフとした作品は、人間の宿命というものを深く洞察し
美しい文章で、それを描いていく(小説については後日...)


10台以上もの大型スクールバスが並ぶバスターミナルに降り立つと、
広大な土地にまだ新しい校舎が立ち並ぶ、立派なキャンパスが広がっていた。
半分以上散ってしまった桜の並木を歩いて、一番奥にある図書館へ..


宮本氏は同校の1期生であるが、開学当時は校舎もひとつしかない小さな大学だった。
一番奥の方にある図書館の中に、その展示スペースはあった。
想像していたよりはかなり狭いが、宮本氏の直筆の原稿や愛用した万年筆などが陳列されていた。
これまでに出版された書籍はすべて持っているが、
見たことのない新聞記事や雑誌の記事などが展示されていたので、それをゆっくりと鑑賞する。
イカリエンテも、直筆のお手紙を二度戴いたことがあるが
原稿用紙にしたためられた力強く美しい文字と文章に、深く感動...


帰りのバスは、帰路につく学生で満員だった。
様々な希望や悩みを抱えながら生きる学生たちの熱気に囲まれるようにバスに揺られながら
若いとはなんと素晴らしいことなのだろうと思いながら、さきほど貰ったパンフレットに目を落とす。

真っ白な原稿用紙に
最初の一字か二字を書いた瞬間、
地の底に落ちて行くような
不安と絶望を感じる
            宮本輝『ひとたびはポプラに臥す』第16章より

デビュー早々に芥川賞直木賞太宰治賞を立て続けに受章した大作家でさえ
こんな苦闘の中で一文字一文字を刻むように小説を書いているのだ。
だからこそ、いつまでも色あせない深い文章を書き続けられるのだと思う。


このパンフレットの文章の後に続く部分を抜粋しておく

俺にはできない。俺には無理だ。途中で気が狂うのではないか。
途中で病気にかかって、書き終えることができないのではないか...。
字も言葉も突如忘れてしまって、宮本は駄目になった、書けない小説家になりはてた、
と言われて見捨てられていくのではないか...
実際に小説を書く苦労よりも、そのような恐怖を乗り越えることのほうが
はるかに大きな闘いを必要とした。
だが、あるとき、私は、そんな恐怖で書斎に座ることができず、
あまつさえペンを握って原稿用紙を前にすることができないとき、
冷や汗と心臓の動悸に包まれながらも、連作中であった小説を書き出した。
五行書き、十行書き、二十行書いているうちに、私の恐怖は消えていったのだった。
「書く」という行為が「書くという恐怖」を消したのだ。
この事実は、私には驚くべき発見だった。
「行く」ことが怖いときは、とにかく前へと歩きだせばいいと知ったのだった。
それこそが最も速効性のある処置であり、それ以外に解決方法はないのだと、私は思い知ったのだ。(中略)
...衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となる....
私の書き上げた世界が大海などではなく、小さな泥の池であろうが、
須弥山のような世界を見おろす山ではなく、蟻塚ほどの盛り上がりにすぎなくても、
衆流と微塵を原稿用紙の升目に置いて行く以外、いかなる方法もない。
                     前掲書

未来に対する恐怖を打ち破るには、前に進むしかない。
一歩一歩..勇気を持って..


バスが駅前に着くと、バスの中に溢れていた青年のエネルギーが流れ出し
街の中へ散っていった。