重松清『きよしこ』

きよしこ (新潮文庫)

少年は、ひとりぼっちだった。名前はきよし。どこにでもいる少年。転校生。
言いたいことがいつも言えずに、悔しかった。思ったことを何でも話せる友だちがほしかった。
...大切なことが言えなかったすべての人に捧げたい珠玉の少年小節。

文庫本の裏表紙に書いてある小節の紹介文に心惹かれて、一気に読んだ。


主人公のきよしは、吃音(どもり)がある。そして、父の転勤で転校が多かった。
クラスで最初に先生に紹介されて自己紹介をするときに、必ずつまって笑われた。
言いたい言葉が出てこない...カ行とタ行を避けて話すのは難しい...あきらめて言うのをやめる。
少年は、いつもひとりだった。
きよしこ」は小学校一年生のきよしの心から生まれた唯一の「ともだち」
しかし、「きよしこ」が現れて少年を励ましたのは、たったの一度だけだった...


先日読んだ『涙の理由』の中で茂木健一郎氏が
「やるせないと感じているときしか、人間は本当に生きていない気がします」と言っているが
正直、その意味はわかるようで実はわからなかった。
しかし、少年の成長とともに、その意味が少しずつわかってきた。自分の愚かさや弱さがわかってきた。


転校する先々でいろいろな人と出会い、そして転校で別れる。その繰り返し..
やるせない気持ちをいっぱい抱えながらも、少年は成長していく。
少年とともに哀しみ、少年とともに苦しみ、少年とともに戸惑い...少年に何度も心を揺さぶられ
何度も何度も涙を流しながら読み終えた。


あさのあつこ氏の「解説」は、実にこの小説の本質を射抜いているように思う。

人が人に支えられることはある。励まされることもある。救ってもらうこともある。
だけど、それは自分の闘いを誰かが肩代わりしてくれることじゃない。
一人、不器用に、不細工に、おまえは闘うのだと、(作者はきよしに)命じたのだろうか。
命じたのだろう、それしかないのだと。祈りのように命じたのだ。

六歳のきよしの前に現れた「きよしこ」は、それ後彼が少年と言われる時期を抜けるまで出てこない

きよしが、どんなに辛くても、惨めでも、寂しくても、出てこない。
きよしの辛さも、惨めさも、寂しさも、きよし自身のものなのだ。
作者は、きよし自身の辛さを惨めさを寂しさを決して他者に渡さない。
他者と分かち合い、きよしの荷を軽くし、晴れやかに笑うことを許さない。
自分の闘いは、自分のものでしかないのだ。誰も替わることなどできない。(中略)
肉体も精神も透けていくような孤独を作者はきよしに伝え、
きよしは生身で、全身で、それらを受け取った。小学校一年生、まだ六歳。
なんて、かっこいいんだ。

本当のかっこよさって、闘う姿なんだと思った。逃げる心の中には闘争は生まれない。
現実をきちんと引き受けて、不器用に不細工に闘わなければ...
人間は、人間の中でしか人間になれないから...


おじさんは、少年に教えられた。