『40(フォーティー) 翼ふたたび』

「人生終わりと思っていたら、40歳が始まりだった」
帯のコピーに誘われて、思わず買った本。
客先まわりの途中、横浜駅地下街の『龍味』で
鳥ネギ丼をかきこんで、
エクセルシオールカフェでコーヒーを飲みながら
最後の章を一気に読み切る。
40代も悪くない...なんだか心が温かくなって泣けた。
40 翼ふたたび (講談社文庫)
大手広告会社からの転職に失敗して数か月で退職
投げやりにプロデュース業をはじめた主人公喜一
事務所の入っているビルの前でためいきをつくシーンから始まる物語。
なんとなく自分の後姿を見るような...疲れきったたよりない40歳の男。
40歳をプロデュースするというブログを書き始めると、そこには、さまざまな40代が相談に訪れる。
凋落したIT社長、やり手の銀行マン、23年引きこもったままの40歳、会社を始めたフリーター...
千差万別の人と触れ合う中で、生きることの困難に出会いながら
主人公自身が、そして周囲の人々が希望を見出していく。

自分が十九、二十の頃、四十歳というのはとてつもなく大人で、まだまだ不安定な自分と比べて
揺るぎなく、自信に満ちているように映ったものだった。
それがどうだろう、実際に自分がその歳になってみると、揺るぎないどころか、揺れっぱなしだ。
自信に満ち溢れるどころか、自信を持つことの難しさが、若いころよりさらに身に沁みる。
さらに言うなら、若いころの苦悩の根っこが、「まだ先が見えないことに対する曰く言い難い不安」
だとするならば、四十を超えた身が抱える苦悩は「先が見えてしまうことへの不安」である。
もう人生の半ばまで来てしまったのだ。というやるせない喪失感。もうやり直せないのだという焦燥感。
                       『40 翼ふたたび』より解説 吉田伸子

確かに若い頃、会社の中で40代の先輩を見ると、仕事ができて自信に満ちているように見えたものだ。
しかし、自分は50歳に近いというのに、自信など持てるような状況ではないし
自分の友人、知人、電車で向いに座った人でさえ、皆、自信に満ちた大人に見えてしまう。
だけど、そんなことはないのだ。皆悩みながら右往左往しながら生きているのだ。
そう思えるようになった。
どんなに情けない状況だって、「希望」を持ち続けることが大事だということを教えてくれた。
昨日紹介した檜山先生は、亡くなる3日前まで仕事の手を止めなかったという。
末期がんを自覚されながらも、いつも淡々と自分の仕事に取り組んでおられた。
その心の底には、やはり「希望」があったのではないか。
死期を感じるようになっても、後進の育成に尽くされたのは、
自分の仕事を後世に残す「希望」ではなかったのか?
そして、それは難しいことではなく、かんたんなことなのかもしれない。

余計な荷物を全部捨ててしまっても、人生には残るものがある。
それは気もちよく晴れた空や、吹き寄せる風や、大切な人のひと言といった、
ごくあたりまえのかんたんなことばかりだ。
そうした『かんたん』を頼りに生きていけば、幸せは誰にでも手の届くところにあるはずだ
                          『40 翼ふたたび』