春風駘蕩

今の仕事も出勤はあと2日。
12月1日から次の仕事が始まる。
急激な景気後退の中で、リストラや学生の内定取り消しが騒がれる中で
特別な技能もないオジサンが、今までより好条件で再就職できたのは、奇跡的かもしれない。
激しい一年だった。これほど悩み苦しみ祈ったことは、これまでになかったような気がする。
しかし、過ぎてみればたいしたことではなかったようにも思える。
睡蓮の長いまどろみ〈上〉

「春風駘蕩って言葉があるだろう?」
と今井は言って、ワイシャツのボタンを三つ外し、胸に風を入れた。
「俺は、そんな人間になりたいよ。だから長生きしたいって思うんだ。
年齢ってものを経ないと、そんな人間にはなれないからな」
                宮本輝 『睡蓮の長いまどろみ』

春風駘蕩とは、春風のような泰然として穏やかな人柄をいうが、
ただ穏やかというだけでなく、他人に対して春風をもたらすような人格のことを言うのではないかと思う。
そうなるには、いくつもの冬を経験しなければならない。
年齢を経るとは、つまりそういうことなのだ。


カメラマンK君から、封書が届いた。
再就職のお祝いに...という表書きの下に3枚の写真が入っていた。
宮本輝出世作『泥の河』(『蛍川』に所収)の舞台となった場所の写真であった。
すっかり様変わりはしてしまったが...
曇り空の下に広がるその運河は、今も人の営みをその静かな水面に映している。
心が澄んでいくような、いい写真である。

堂島川土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。
その川と川がまじわる所に三つの橋がかかっていた。昭和橋と端建蔵橋、それに舟津橋である。
藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見下ろしながら、
古びた市電がのろのろと渡っていた。(中略)
川筋の住人は、自分たちが海の近辺で暮しているとは思っていない。
実際、川と橋に囲まれ、市電や轟音や三輪自動車のけたたましい排気音に体を震わされていると、
その周囲から海の風情を感じ取ることは難しかった。
だが満潮時、川が逆流してきて海水に押しあげられて河畔の家の真下で起伏を描き、
ときおり潮の匂いを漂わせたりすると、人々は近くに海があることを思い知るのである。
                              宮本輝『泥の河』

カメラマンK君はムイカリエンテより少しだけ若いが、春風のような雰囲気をもった男である。