悩める脳

土曜日の懇談の折に、みっちーさんから
ブログの感想として、ムイカリエンテは
いつも難しいことばかり考えているのか
と聞かれた。
自分で意識したことはないのだが
言われてみれば..そうかもしれない。
少し前に流行った「脳内メーカー
本名を入れてみると...ほとんどが悩み(;´д`)
イカリエンテでやってみても半分が"悩"。
名前だけで性格や人生が決まるわけではないので、ここに固執するのはおかしいと思うが...
なんとなく合っているような気も...
そこで、"悩み"について悩んでみた。
『人生の鍛錬』の中には「悩み」に関する考察も多い。
悩みは善悪に通じる。
まず、悩みのベクトルをチェックしなければならない。

昨日のことを後悔したければ、後悔するがよい、
いずれ今日のことを後悔しなければならなぬ明日がやって来るだろう。
その日その日が自己批判に暮れるような道を何処まで歩いても
批判する主体の姿に出会う事はない。
別な道が屹度あるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、
後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ
そういう確信を(宮本)武蔵は語っているのである。
それは、今日まで自分が生きて来たことについて、
その掛け替えのない命の持続感というものを持て、ということになるでしょう。
小林秀雄『私の人生観』

自分の前に立ちはだかる問題に対して、眼をそらさぬこと。誤魔化さないこと。逃げないこと。
そういう覚悟がなければ、悩みは苦しみに満ちたものになってしまうし、飲まれてしまう。

大事なことは悩みの有無ではなく、精神が強いか否かなのである。

強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るが儘の環境であって。
そこに何一つ欠けている処も、不足しているものもありはしない。(中略)
命の力には、外的偶然を内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。
小林秀雄『モオツァルト』

日々身の回りに起こることは、外的なもの偶発的なことにも思える。
そういう意味で、天に運を任せるような生き方は、あまりにもお目出度いし、現実に弱い。
強い精神は、自らの内側に向かう。そして、偶発と思えることでさえ必然として肉化していく。
とはいえ、ムイカリエンテも修行中。現実の前で呆然としてしまい、逃げたいこともある。
こんなときには偉大な人々の生涯を思い起こす。

苦悩をつき抜けて、歓喜に至れ!
ロマン・ロランベートーヴェンの生涯』

この結論の一行。
苦悩を突き抜けた先にしか、本当の歓喜はない。
勇気を持って、今日も闘おう。ムイカリエンテ!