はじめに行いありき

巷は統一地方選。横浜でも県議市議と県知事の選挙が行われる。
駅頭では毎日のように候補が演説を行い、選挙カーが街中を走りぬける。
しかし、それを受ける側の人々の目は冷めている。なぜか?
本来政治家としてすべき行動のない人間が、あまりにも多いからだ。
選挙のためだけに夢のような絵空事で庶民を欺き行動をしない、
他候補の批判をして自らを語れない。そんな下劣な人間を代表に選んではいけない。
政治に無関心になってはいけない。無関心は、彼らの怠慢をさらに助長させる。
ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)
行動の大切さについては、先日宇野千代さんのエッセーを紹介したが
ファウストゲーテ)にも、行動の大切さを記述した有名な部分がある。
それは、ファウストが聖書を訳す場面。

こう書いてある「初めにことばありき!」
ここでわしはもうつかえる!誰かわしを助けて先へ進ませてくれないか。
わしはことばというものをそう高く値ぶみすることはできない。
わしは霊の光に正しく照らされているなら、
別に訳さなくてはならない。
こう書いてある「初めに意味ありき」
ペンが先走りせぬように
第一行をよく考えよ!
一切を切りだすものは意味だろうか。
こう書いてあるべきだ「はじめに力ありき!」
しかし、こう書きつけているうちに、もう
これでは済まされないと警告するものがある。
霊の助けに、不意に思いついて
安んじてこう書く「はじめに行いありき」
ファウスト 第一部」 ゲーテ

聖書に出てくる「はじめに言葉ありき」に疑問を感じ、否定し考察する。
観念だけでは、何も進まない。言葉だけでは、何も変わらない。
すべてを切り開いていくものは行動なのである。
行動なき言論は空虚なり、虚実なり。
時節柄、政治家のことを例に挙げたが、これは自分自身に当てはめるべきことである。
自身の目的に向かって、自身の使命に向かって
今、何をすべきか...まず行動を起こす。
行動しながら何かを感じ、行動しながら考え、行動しながら人と語り、
行動しながら書いて、行動しながら学んでいく。
「ムイカリエンテさんは、行動が早いですね」とよく言われる。
それは常に意識してそうしているうちに、習慣になってしまったのだと思う。
自分では特に早いつもりはないのである。
イチかバチか、とにかく飛び込んでみる。
最初から良い結果が出ることなど期待していない。駄目で元々。
でも、動いて失敗して感じたことは、観念だけではわからないことがたくさん見えてくる。
行動することは、生きることだから...