ふと目を覚ますと、眩しかった陽射しが翳り初めていた。
薔薇棚の柱の陰のベンチに座って、そのままま眠ってしまったらしい...
夕凪の海から吹き上げてくる風を大きく吸い込んでから立ち上がった。
ああ、陽がおちてしまう...
海岸通りに出て、丘の上の公園への道を急いだ…
薔薇を観たくて山下公園の薔薇園に来てみたが、庭園風にぎっしり植えられた花の中で
これという薔薇には出会えなかったのだった。
元町商店街を横切るとき、クラシックカーの列が流れ出てきた。
イベントでもあったか...磨き上げられた車のボディーに五月の空が映り込む
丘の上の展望台から見渡した横浜港の凪いだ海の上には、
夕暮れの色あせた空が横たわり、
港の明かりが、ぽつりぽつりと灯り始めていた。
庭園の奥へと向かう間にも、時を刻むように光は薄れていった。
薄暗くなった薔薇園には、人影もなく、甘い香りが重くしめやかに佇んでいた。
薔薇は...青空の下で胸を張って華やかに咲いていたであろう薔薇の花は...
舞台のそでにはけた女優のように、ふっと息を抜いて暮れゆく空を見上げている。
気づかれぬように...ゆっくりとそんな薔薇を観て回る。
闇が降りてきたその時、薄紅色のその一輪に気がついた。
独りだけ、こちらに背を向けてじっとうつむいている。
言いようのない悲しみが、彼女の周りに漂っている。
そのうつろな視線の先にあるのは何なのか...
こんなにも美しく咲いたのに、あと数日もすれば枯れて堕ちることを
きっと気づいているに違いない。
誰もいない夕暮れにひとりになって
儚いいのちを抱きしめ、そして愛おしんでいるのだろうか...
美しいものは、悲しいものだな...
否...悲しみを湛えているものこそが美しいのかもしれない。
人も...言葉も... 悲しみから発したものでなければ、美しさを感じないのは
いのちはいつか果てるという、どうしようもない宇宙の掟故なのかもしれない。
万葉の時代の人たちは、愛しいも美しいも、かなしと言った...あはれと言った。
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなりける。
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女の中も和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。
紀貫之『古今和歌集』序文
人は、空を見上げなくなったと、以前に書いたが...
いのちというものを見つめることもなくなった。
儚いからこそ、限りあるからこそ、いま受けた生を美しく輝かせなければならない。
「明日死んでしまう蝉の羽が、なぜこんなにも美しく装われているのか...」
青田五良という人の問いの意味を、自らに問わねばならぬ。