水上勉『飢餓海峡』

日立の凪いだ海面が光っていた。
日立駅の駅舎は、全面ガラス張りで
海を見下ろす丘の上に建っている。
予定よりも一本早い特急で日立に入り
窓際のベンチに座って
暖かな陽射しを浴びて一息...


去年の津波は、この海岸にも押し寄せたのだろうが
ここから見る限りでは、その痕跡はわからない。
何事もなかったように、海は静かに横たわっていた。


一週間ほど前に読み始めた水上勉の『飢餓海峡
心を揺さぶられ続けながら、700頁の物語を一気に読み
ガラス越しに海を見ながら、深い感動とともに読み終わった。

飢餓海峡 (上巻) (新潮文庫) 飢餓海峡 (下巻) (新潮文庫)
青函連絡船沈没事件と同日に起きた岩内の大火から作者が着想したという物語。
食品会社の社長として成功をおさめた樽見京一郎は、京都の最北端で極貧の農家に生まれたが
貧乏のどん底から這い上がるために、大阪・北海道へ移り住み、ある出会いがもとで殺人を犯していた。
そして、津軽海峡を渡って逃亡する中、下北半島小さな町で知り合った杉戸八重との運命的な出会い....
杉戸八重もまた、青森の山深い貧しい農家に生まれ、貧乏の底をなめるような生活をしてきた。

母親の医療費を払うために借金を抱え、娼妓という道を選ばざるを得なかった八重
懸命に一途に生きる女八重の心の優しさと悲劇が心をとらえて離さない。
事件を追う刑事の使命感と人間性、そして友情...
捜査を進めるにしたがって浮き彫りにされていく、樽見や八重の悲惨な生い立ち...
貧しさゆえの哀しみ、貧しさゆえの清らかさ、貧しさゆえの過ち...
亡くなった八重の行李の底に大事にしまってあった古新聞が、それを目にした人々の心を揺り動かす。


10年ほど前に仕事で行った晩秋の下北半島の情景が脳裏によみがえっていた。
むつでの仕事を終えてから、本州最北端の大間岬まで車を飛ばした。
季節外れの台風で、津軽海峡は荒れて真っ黒な波が大きくうねっていた。
冷たく恐ろしい光景だった。
自分の命の底のほうにも、あの黒い海が渦巻いている。





日記を書きながらYouTUBEで聴いていたCattiniのAve Maria...美しい声...哀しい声