徹するということ

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
男は夢に向かって闘っていた。それは、あまりにも無謀な夢だった。
周囲から見れば、狂ったとしか映らないような、まさに常軌を逸した姿であった。
男の名は木村秋則。1978年頃から始まったというから当時29歳の青年である。


肥料も農薬も一切使わずにリンゴを作る。
福岡正信の「自然農法」の考え方に感動し、自分の作っているリンゴでそれを実践しようと考える。
しかし....品種改良されて実が大きくなった現代のリンゴは、非常にデリケートで、
農薬をなしにはその栽培はありえないというのが常識になっている。
その木に群がる昆虫や病気を避けるために、年間なんと十数回も薬を噴霧しなければならない。
それを怠れば、一気に害虫に食われ病気が蔓延してしまう。


でも、彼はその気高い夢に向かって一歩を踏み出してしまった。
来る日も来る日も害虫との戦い。薬を使わないのだがら一匹一匹手でつまんでいく。
毛虫・ハマキムシ・シャクトリムシ...数万・数十万...その重さで枝がしなるような夥しい数の虫を
一匹一匹手でつまんでいく。気の遠くなるような仕事である。
病気にならないように、酢やトウガラシや油や...ありとあらゆる食品を木に噴霧していく。
知恵を絞り尽くして、朝早くから夜まで畑で格闘をしていく。
しかし...害虫は後から後から湧いてくる。病気も一気に蔓延する。せっかく出てきた葉がすべて落ちる。
周囲の農家からは狂人扱いされ、嘲笑と非難の渦が巻き起こって誰にも相手にされなくなる。


一年経ち二年経ち...何をやっても4つの畑の800本の木には一枚たりとも葉が残らない。
三年、四年...状況は何も変わらない。変わっていくのは木村の生活だけ。
周囲のリンゴ農家が大きなリンゴをたわわに実らせる秋が来ても、木村の畑には一個のリンゴも実らない。
最初のうちはトウモロコシ畑も田圃もあったので、食糧はなんとか確保していたが、現金収入はなくなり
田畑を手放し、農機も車も手放し、借金をしながらリンゴの栽培に賭けていく。極貧の生活に陥る。
妻とその両親、そして三人の娘...食べるにさえ事欠くのだから服や生活用品などほとんど買えない。
電話は止められ、保険証も取り上げられ、ガスと水道をつなぐのがやっとの生活。
子供たちの文具も買えず、短くなった鉛筆をセロテープでつなぎ、消しゴムは3つに割って使った。
そこまでしても、妻とその両親は毎日害虫取りを黙々と手伝い、娘たちも父の夢を我が夢と感じていく。
それでも状況は変わらず六年目...万策尽きて、ある日死んでしまおうと一人山に入る...
そこに大きな転機が...


夢を追いはじめて九年目、木村の畑一面に桜によく似たリンゴの白い花が一面に咲いた情景は
活字から想像するだけでも、涙が溢れてしまう。


夢に向かうということは、生易しいものではない。
死ぬほどの格闘がなくては、大きな夢は叶えられない。
一人の男の執念が、不可能を可能に変え、世界の常識を覆した。
苦闘の中で、自然界の不可思議や生命の力を体得した。


木村さんのリンゴは、一口齧るだけで涙が出そうになるくらい美味いという。
しかし、飛ぶように売れてしまうので、手に入らない。
ある東京の高級レストランのリンゴのスープは、1年先まで予約が埋まっているとか...


夢を持って生きることの厳しさと素晴らしさを深く感じた。


本の冒頭に著者が引用したタゴールの詩

  危険から守り給えと祈るのではなく、
  危険と勇敢に立ち向かえますように、


  痛みが鎮まることを乞うのではなく
  痛みに打ち克つ心を乞えますように、


  人生という戦場で、味方をさがすのではなく、
  自分自身の力を見い出せますように

  
  不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
  自由を勝ち取るために耐える心を願えますように、


  成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
  卑怯者ではなく、失意のときにこそ
  あなたの御手に握られていることを気づけますように
                 ラビン・ドラナート・タゴール『果物採集』より

夢を追うには、弱くてはいけない。
自分を信じて、痛みに打ち克つ心を...読みながら、人間に大事なことを感じ続けていた。


この本を貸してくれたK君に感謝。お互いに、この心を忘れぬように...頑張ろうね。