人生を演じること

富士山を赤く染めながら
今年最後の夕陽が落ちて行くのを、
特急あずさの車窓から眺めていた。
晦日の今日は6時に家を出て
韮崎まで日帰りの出張。
行きも帰りも、年末年始の里帰りや旅行の人たちばかりで、
仕事らしき姿の人は一人もいない。


思い起こせば、今年は年頭から苦しい一年だった。長い長い一年だった。
ずっと書いてきたので、改めては書かないが...
前年までの生活が嘘のように一瞬で砕けて、悩んでばかりの一年だった。
自分は なんと重い宿命を背負った運のない人間だろうと...落ち込むことの多い一年だった。
しかし、結果的には最悪の不況にさしかかる直前に就職も決まり仕事もできるようになった
宿命とは何か..仕事とは何か..生きるとは何か..幸福とは何か..自分とは何か...
考え続け悩みつづけてきた。答えが全部出たわけではないが...成長はできたのかもしれない。

人生とは極めて真面目な芝居であり、
出来るだけ上手に芝居しようとする努力が人生そのものだと言えよう。
俳優は勿論、見物もこの努力に参加している。
上手に演じようとする俳優の技術は、上手に見ようという見物の技術と同じ性質である。
名優と見巧者とは、完全に協力している。お互いに相手によって己を律している。
相手のうちに己の鏡を見て楽しむ。
人生の友愛は、そういう交わりを重ねる以外、何処に生まれ得ようか。
                    小林秀雄『或る夜の感想』

先日、先輩Tさんが話してくださった。
尊極の素晴らしい生命を持ちながら、人はなぜ様々な苦悩に直面しなければならないのか...
貧乏で悩む人、病気で悩む人、仕事で悩む人、家庭で悩む人、人間関係で悩む人...
しかし、それを"宿命"ととらえるのか"使命"ととらえるのか? ここが大事であると...
「貧乏で悩む宿命」ととらえずに「貧乏を乗り越える使命」ととらえるべきであるし
「仕事で悩む宿命」ととらえずに「仕事の問題を乗り越える使命」ととらえるべきと...
人生は劇のようなものだ。どうせ演じるのであれば、名優を目指したい。
重い荷物を背負ったと考えず、演じているのだと思えば心が軽くなる。
次の場面では、必ず逆転する。そう決めて頑張れば良い。


今年の自分は全くの大根役者...演じることも忘れて右往左往しただけの舞台だったが..
観客の皆さんの方が、ずっと見巧者であった。
一喜一憂する日記に反応していただき、コメントでまた電話やメールで..時には会って話して...
励まし続けていただいた皆さんに対しては、言葉にならないほどの感謝でいっぱいである。
コメントはいただかなくとも、見守ってくださっている方も全部わかっているつもりである。
その数は、数十人。老若男女、様々な方々から数知れぬ激励をいただいてきた。
これは何ものにも代えがたい、心の財である。


とにかく感謝・感謝・大感謝
今度は自分が人を励まし続けられる人間でありたいと思う。


皆様、大変お世話になりました。
来年も、よろしくお願い申し上げます。