放浪の旅

若いころから放浪癖がある。
学生時代は、各駅停車に乗って
駅舎に泊まりながら旅行をした。


だから出張で全国を駆け回る仕事は
苦ではなく、むしろ楽しかった。
去年までの日記を読まれていた方には
説明するまでもないが...


いつか誰も知らない異国に
放浪の旅に出てみたいという非現実な思いを
いつも抱いている。


本屋でたまたま手にした写真集
ぱらぱらめくると上目使いの少女の写真
見開きのページに書かれていた一言に胸を打たれる。

見えもしない見えない未来の恐怖感
それは脅威でもなければ、恐怖でもない
時空の中ではただのゴミだ

34歳でサラリーマン生活を捨てて世界放浪の旅に出たという著者須田誠氏
旅先でたまたま手に入れたカメラで世界を撮って歩いた。
その記録が写真集 『NO TRAVEL,NO LIFE』である。
NO TRAVEL,NO LIFE
そこには人間の歓びや悲しみ、息遣いが聞こえるような写真の数々
短いコメントが心に沁みる。

驚いたことに、振りかえってみると、過去にたくさんあったはずの人生の分かれ道が
どこにも見当たらないではないか。
近道をしたと思っていても、回り道をしたと思いこんでいても、
そのすべての道は、自分で選んだ、自分という名の一本の道につながっていた。
今思えば、あの分岐点で迷った時の、多くのつまらない苦悩や後悔は、
直感に従わない自分への戒めだったのかもしれない。


これから先もずっと自分という一本道は続いていくのだろう。
ならば、過去の嫌なことは全部忘れてしまおうじゃないか。
直感に従って、やりたいと思うことだけを選んでいこう。
明るく、ゆっくり、シンプルに、僕は旅をしてそう思えるようになった。


そしていつかまた自分の歩いてきた道を振り返ったとき、
楽しい出来事で一杯の、そのキラキラと光る道を見て、
「おお凸凹だけど美しい道だなー」って言えたらいいんじゃないかな。

生きることは、旅をしていること。
19歳まではまっすぐな上り坂だった。でも、そこから先は、とんでもない凸凹だ。
分岐点...確かに、あったような気もするが...今ではよく思い出せない。
不連続の連続。
どんな突拍子もない出来事だって、結局は自分という一個の人間の生命から出てきた姿なのだ。
過去の分岐点に後悔の溜息をついたって、どうにもならない。
ならば、過去は思い切って美化してしまえばよいではないか。


貧しき子供たちの輝く瞳の中には、見えない未来への恐怖など片鱗もない。
もう一度、こんな眼に戻るためには、ただひとつ、
心に巣食った"臆病"を消しゴムで消してしまうことだ。