コスモス畑@TOKYO

コスモスの季節である。
以前は庭の片隅や道路の脇に咲くコスモスを見て
その健気さや儚さに心を動かしたものだが、
三重で、休耕田の広大なコスモス畑を見てから
その賑やかさ温かさに触れて、
春が訪れたような歓びを感じるようになった。
http://picasaweb.google.co.jp/muycaliente.ueno/VrzysJ#
今日は振り替え休日をとって自宅でゆっくり休もうかと思ったが
窓の外の街路樹に射す明るい陽射しを見た瞬間に、ふと コスモス畑に行こうと思いたった。


横浜近辺では広大なコスモス畑があるとも思えず、
今年の春にチューリップを見に行った昭和記念公園に行くことに...
(春の訪問時の写真→http://picasaweb.google.co.jp/muycaliente.ueno/080421#


緑に囲まれた広い園内をゆっくりと歩きながら、園内の一番奥にあるコスモスの丘を目ざす。
春に来たときには萌えるような若葉の香りに満ちていたが
今は紅葉に向かって、それぞれの樹が最も美しい色を競い合う準備をしているようである。


大きな広場を横切り、純白のコスモス畑を抜けて、小さな丘を超えたとき
褪せはじめた緑の中に、そこだけ春が来たようなピンクの絨毯が視界に飛び込んできた。

斜面に沿って、様々な種類のコスモスが、午後の傾きかけた陽光の中で揺れている。
たよりない茎の上に大きな花をつけて、風に吹かれるたびに香りをふりまいて
蝶や蜂が花と花の間を戯れるように飛んでいる。

去年と一昨年の今頃は、三重の休耕田でこの何倍もある広大なコスモス畑に一人きり..
風に揺れるコスモスの囁きが聞こえるほどの静寂の中で、畦道に座ってコスモスを見ていた。
あの時感じたコスモス畑の美しさと今日のコスモスの美しさ...
なんだか違って見えたのは、環境のせいだったか自分の心のせいだったのか...
今ではもうわからない。

一輪の花の美しさをよくよく感じるという事は難しいことだ。
仮にそれが易しいことだとしても、人間の美しさ、立派さを感じる事は、易しいことではありますまい。
又、知識がどんなにあっても、優しい時間を持っていない人は、立派な人間とは言われまい。
そして、優しい感情を持つ人とは、物事をよく感ずる心を持っている人ではありませんか。
                            小林秀雄『美を求める心』