2週間ぶりの休暇。朝に強いムイカリエンテも、さすがに起き上がれない。
疲労物質が体じゅうをめぐっているような重さ。
それでも、休みの間にやらねばならないことは山積している。
日頃会えない友人に会いに行き、電話をし、メールをする。
人と話すことで、励ましたり励まされたり...対話は最高の薬である。
大手企業の役員からベンチャー企業に転身したNさん。
様々なプレッシャーから解放されて、夢を持って仕事をしているという。すこぶる顔色がよくなった。
先日見舞に行ったTさんから手術の連絡があり、激励のメールを送る。
皆、闘っている。闘うことが生きることだということを、人の姿を通して実感する。
帰宅して、ベートーヴェンの『運命』を聴きながら、ベートーヴェンの生涯を紐解く。
カルロス・クライバーの『運命』は重厚で素晴らしい。
人間の精神、その願望の勇躍、その希望の飛翔、愛へ、可能へ、そうして認識への強烈な羽ばたき。
これらのものが到る所で鉄の手に当たる。
すなわち、人生の短さやその脆さや、冷淡な自然や、病気や失意や、当て外れやに。
われわれは、ベートーヴェンにおいてわれわれの敗北とわれわれの苦悩に再会する。
けれどもそれらには、彼によって高貴なものとなされ、浄化しているのである。
これが第一のたまものである。
よく生きようとすれば...闘いを起こそうと決意し行動すれば...必ず何らかの障害にぶち当たる。
それは環境の問題であったり、自身の年齢・体力・寿命・病気・臆病等々内面の問題であったり...
その障害に悩み苦しみ、そしてある時は屈辱的な敗北を味わうことになる。
しかし、ベートーヴェンの生涯の中に私たちは自分と同じ敗北や屈辱に再会する。
そして、彼がその苦悩を高貴なものへと浄化し、勝ち取ったことを識る。
そうして、第二の最大のそれは、悩めるこの人がわれわれに勇敢な諦念を、
苦しみの中の平安を与えてくれることである。
人生をあるがままに見ることの、そしてあるがままの人生を愛することの、この諦念的調和を、
彼は自らのために実現し、またわれわれのために実現した。
なおそれ以上のことを彼は成就した。
彼は運命と婚姻して自分の敗北から一つの勝利を作り上げた。
『第五交響曲』や『第九交響曲』の、あの心を酔わせる終曲(フィナーレ)こそは、
打倒された自分の身体の上に、勝ち誇って光明に向かって立ち上がる。解放された魂以外の何者であるか?
この勝利は孤独な一人の人間のもののみにとどまらない。それはまたわれわれのたまものである。
ベートーヴェンか勝利を獲得したのはわれわれのためである。彼はそのことを望んだ。
他人のために働こうとする専念は、絶えず彼の心に還って来た。
願わくは彼の不幸が彼以外の人間に役立つがよい!
いかなる宿命いかなるか...負け癖のついてしまったような半生。
これからも続くであろう困難を考えると、暗澹とした気持ちになってしまう。
しかし、ベートーヴェンの人生を見れば、自分の苦悩 自分の悲嘆など、芥子粒のようなものではないか。
彼の言動、彼の手記を読めば、彼を支えたのは"利他"の精神以外のなにものでもない。
自分以外の人のために生きることで、自ら歓喜を創り出した生涯。
その心が紡ぎ出した音楽は、150年余の間、無数の人々に勇気を奮い起させ、希望を点火してきた。
あまりにも偉大すぎて、自分に何ができるかはわからないけれど...
他者のために行動し、自ら歓喜を創り出すことはできるはずである。
偉大な英雄の姿を思い描きながら...