内なる情熱

美味しいものを食べると元気が出る。
横浜駅西口地下街 中華料理「龍味」へ...
豚肉角煮丼.....旨い!!
中華はカロリーを気にして、あまり食べないが...
たまには脂っこいものもいい
身体の中で燃えてエネルギーが出てくる
内なる発熱...今日のテーマとはちょっと違う。


日記を休んでいる間、読書も映画鑑賞はずいぶんしてきた。
最近印象に残った新書は、茂木健一郎氏の『ひらめきの導火線』
ひらめきの導火線 (PHP新書)
難解な脳科学の理屈を、文学的・哲学的な表現で記述されていて読みやすい。

重要なのは、「自分が何者であるか」という「個性」を固定化して考えないことである。
常に他者との関係の中で柔軟に変化する存在として、自分の個性をとらえることが大切である。(中略)
予測できる規則的なことと、予測できない不確実なことが入り混じった状態にあるのが、
生きるうえでの本来の姿である。(中略)
規則性と不規則性のはざま。そこから遠ざかろうとすると、生命力は失われる。
「偶有性に身を置く」ということは、従属するということではない。
むしろそれは主体的な意思であり、覚悟である。
                         茂木健一郎著『ひらめきの導火線』

偶有性から遠ざかろうとすると生命力が失われるという一言は、ドキッとした。
自分の能力なんてこんなものだと決め込んでしまうことは、よくあることだ。
昨日の「勝つための全部...」なんて思いもよらない。
自分の可能性を固定化してしまえば、成長を止めているのも他ならぬ自分自身ではないか。


脳科学者は、脳内の神経細胞が活動することを「発火する」という言葉で表現するという。
無数の神経細胞の中のあらゆる場所で炎が揺らめき、「意識」という不思議なものが生まれる。
                           

たき火の形は、一瞬たりとも同じ形であることはない。炎は踊り姿を変え続ける。
私たちの周りには炎のように予測のできない動きをするものが満ちあふれている。
空の雲、風に舞う落ち葉、みそ汁の対流...(中略)
たき火の炎に直接手を触れて成形することなどできないように、人間の意識にも直接触れることはできない。(中略)
たき火の炎から人間の意識まで、複雑で豊なカオスこそが生命の本質である。(中略)

人生は予測できないからこそドラマチックになるのであって
最初から筋書きがあったのでは、何の驚きも喜びもなくなってしまうのだ。
自分はそれを勘違いしていたようだ。
突然現れた壁に呆然として、立ち止まってしまったのだ。
偶然を必然ととらえて闘いに挑めば、苦境さえ楽しむことさえできたのかもしれない

新しいものを生み出すのは私たちの「内なる情熱」だということだ。
ますます変化が加速し複雑になっていく世界の中で、
私たちが創造的になるということは「よく生きる」ということと同じはずである。

よく生きるために「情熱」を維持することだ。自分を信じて...