海へ

梅雨の合間で、久しぶりの天気。
朝の空気が心地よい。
こんな日に海の近くに仕事に行けるなんて...
潮風に当たると元気になる。


現場で朝合流するはずの同僚が
別の現場のトラブル対応で2時間ほど遅れたので
午前中はシ―サイドマリーナのベンチに座って
海を眺めながら読書の時間。
おかげで日焼けが...日焼け止めしなかった...白い肌が...

前回ご紹介した「すべては音楽から生まれる」読了。
茂木氏の洞察は、脳科学者らしく冷静でもあり情熱的でもある。
音楽と人生 音楽と生命に関する深い考察が、随所にちりばめられている。
薄い新書にしては、なかなか内容の濃い本であった。

音楽を聴いていていつも思うことは、自分が「今、ここ」でまさに感じていることを
すべてはつかみきれないまま、時が過ぎていくということである。
(中略)
豊饒な音の奔流が、惜しげもなく通り過ぎていく...
(中略)
音楽を聴くことは、つまりは「うまくサヨナラをすること」だと思う。
(中略)
私たちが音楽を愛するのは、それが生命のあり方に似ているからだろう。
ある場所と時間のうつにしか成立しない。片時も留まることなく、常に変化し続ける。
ときには、ひそやかに伏流して、やがて大きくふくらんでいく。
そして、最後の響きが鳴り終える時に、音楽と言うかけがえのない体験は終りを迎える。
私たちの命も同じである。いつかは終りがくると判っているからこそ、
その途中の道筋で出会う美しいハーモニーや、軽やかなリズムが愛おしいのである。
そう思って感じ、開いていれば、人生のすべては音楽に思えてくるのではないか。

時は、どうしようもなく過ぎていく。生命は刻一刻と死に向かって近づいている。
茂木氏は、モーツァルトの音楽について
「<生>の深みに潜む暗黒を突き抜けたところに誕生した光」
と表現し、「誤解を恐れずに言うならば、闇とは人生そのものである」としている。
ここでいう闇とは、仏教の言葉でいう「無明」に通じる。生命の根源的迷いや無知を指す。
人間はあらゆる知を獲得したようではあるが、一瞬先の未来さえ見えない。
ましてや、生まれる前のこともしんだ後のことも知ることはできない。
モーツァルトの音楽から「生きていることと死んでいることは同じことかもしれない...」
という言葉を湧き立たせた宮本輝の『錦繍』は、モーツァルト交響曲をモチーフにし
生命の深淵を美しい筆致で綴った書簡体の小説であるが、
この小説におけるモーツアルトの解釈も生命の光と闇を見事に表現したものであった。


久し振りに生のオーケストラを聴きたくなった。