シューベルトの思い出

朝早く起きてカーテンを開ける。
今にも泣きだしそうな梅雨空。
この季節がくると「雨の日は嫌いではありません」
という一言から始まるSさんのメールを思い出す。
哀しみを味わった人間にしか発することのできない
言葉に、心が癒された。
それ以来、梅雨空もどしゃぶりも嫌いではなくなった。


ベランダで冷たくて湿った空気を全身に浴びながら、花や野菜の苗をひうとつひとつ観察する。
茄子とトマトが花をつけ、ポーチュラカが白と黄色の花をところどころで開いている。
インゲンの鞘が膨らみ、ニガウリの蔓はフェンスに絡まり始めた。
どんぐりから伸びた木は1mを超え、沈丁花も根づいたのか元気に葉を広げている。


茂木健一郎氏の新書を読んでいる。
すべては音楽から生まれる (PHP新書)
「私たちの生命は、生まれる前から音楽に包まれている」という一行から始まる文章。
脳科学者という難しい学問を志している学者でありながら、彼の文章は文学的でもあり読みやすい。


イカリエンテがクラシックに目覚め、むさぼるように音楽を聴き始めたのは
小学校6年生の、ある音楽の授業でのこと。その時の状況は、不思議なくらい記憶に鮮明である。
小学校6年生の夏、父が勤めていた会社を辞めて独立した。
事業は最初からうまくいかず借金だらけで、私たちは苦しい生活を強いられた。
会社の寮から引っ越したのだが、転校した先で猛烈ないじめに遭った。
食べるものさえままならぬ毎日。母の内職で、やっと食いつなぐ生活。
それまでの安定した生活は消え失せ、優等生から劣等生に一気に転じてしまった。


2ヶ月後、たまたま安い住居がみつかって再び転校。
生活はどこまでも厳しく劣等感に苛まれ、教室の隅で大人しく過ごす日々...
そんなある日、音楽の授業でシューベルトの『魔王』を鑑賞した。
細身で貧相な女性の音楽教師は、いつも一部の生徒から馬鹿にされ虐められていた。
その先生が『魔王』についての説明をされ、レコードに針を置いた瞬間
音楽室の空気が張り詰めたように感じた。
単調なピアノの響き、重々しいバリトンの声
少年ムイカリエンテの心は、抑えようのない恐怖と衝撃に襲われた。
それ以来、家に帰っては父が持っていたクラシック全集を片っぱしから聴くようになった。
早朝に起きて小さなFMラジオに耳を当ててクラシック番組を聴いた。

人間の感受性を深めるのは優越感よりも劣等感ではないだろうか。
優越感ほど人を油断させて、つまらなくさせるものはない。
恋が成就したときよりも失恋したときに聴く音楽の方が心を揺さぶるというのは、多くの人が知っている心理だ。
幸せではないときのほうが、芸術は沁みる。
「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしているものだ」
とはトルストイの言だが、不幸が織りなす彩りは薔薇色の幸福よりも、ずっと複雑で深い。
(中略)
優越感よりも劣等感のほうが、人の魂を育てる。

劣等感こそが、シューベルトの創作を支えていたのではないだろうか。
劣等感という炎を、焦がすことなく上手に燃やす。その先には豊饒がある。
涙でスコアが霞むなら、自分の音楽を歌うしかない。
たとえ嗚咽で声が出なくても、その底に旋律はあるのだから。
                 茂木健一郎『すべては音楽から生まれる』

劣等感の中で聴いたシューベルトが、自分の胸に深く刺さった理由が
今になって初めてわかったような気がする。
茂木氏の考察のすごいところは、
「劣等感を燃やした先に豊饒がある」という部分だと思う。
劣等感を否定せず、かといって卑屈にはならず、その焚き木を上手く燃やして、豊饒の人生へ...
そう決めて歩きだそう。

   凍ったしずくが
   頬から落ちる
   僕は知らず知らず
   泣いていたのか?


   おお涙よ、僕の涙よ、
   どうしておまえたちは
   冷たい朝の霧のように
   凍ってしなうほど生ぬるいのだ?


   そんなではなく燃えるような熱さで
   胸の泉からほとばしれ、
   まるでおまえたちが冬中の
   氷を融かしたがっているように
              シューベルト『冬の旅』