ミャンマーの反政府デモの渦中、日本人の記者が射殺された。
危険を顧みずに報道を続けた長井氏の使命感には感動する。
しかし、射殺の映像を繰り返すだけのマスコミの姿勢はどうか?
それよりも、ミャンマーにデモが起こっている背景をきちんと説明すべきではないか?
自由を求めるだけの、多くの市民や僧侶たちが殺されているなかで日本人の死だけを
クローズアップする体質は、国際社会では奇異に映るのではないだろうか?
民衆を弾圧し、長井さんを射殺した軍事政権の源流は、日本にある。
ミャンマーの歴史を若干勉強してみた。
ミャンマーの軍事政権と日本は、非常に深い歴史的な繋がりがある。
1940年、日本軍は日中戦争にビルマ(ミャンマーの旧名)を利用するために
30人の青年を日本に連行し、表向きはビルマ独立の支援という名目で軍事訓練を施す。
この30人のリーダーが、アウン・サン。
太平洋戦争が始まると、この青年たちを利用してビルマに進撃、
そして日本軍がビルマを支配し、今度はビルマ人を弾圧してく。
日本の支配に反感を持ったアウン・サンは、インパール作戦での日本の敗退を機に
武装蜂起して独立。しかし、アウン・サン自身は憲法採択直前に暗殺される。
1948年に正式に独立したものの、共産党の武装蜂起で政治は常に混乱状態。
1962年、国軍がクーデターを起こし、ここから悪夢の軍事政権が全権を掌握するが
この大統領、ネ・ウィンは、日本で軍事訓練を受けた一人、日本名は「高杉晋」
鎖国状態を作り、経済は破綻。資源は豊富なのに「最貧国」の認定を受けるまでに...
国民が赤貧をなめる生活をしている中で軍の幹部だけが贅沢な生活をしているのは
当時も今も同じようである。
「ネ・ウィンが毎年1ヶ月かけてヨーロッパにメディカルチェック兼家族旅行をする一方で
国民は、ハエの飛び回る手術室で麻酔もされず錆びたメスで手術を受けていた。」
(『誰も知らなかったビルマ』より)
1988年、国民評議会の馬鹿息子と喧嘩した学生が射殺され、ここから暴動が起きる。
ここにたまたま国外から帰ってきた、アウン・サンの娘アウン・サン・スー・チーが
国民の期待を受けて、民主化の指導者となる。
彼女が結成した「国民民主同盟」は選挙で圧勝し80%の議席を確保するが、
軍事政権は悪辣な手を使って妨害し、卑怯な手で議員を逮捕していく。
スーチー女史自身も拘束されて自宅軟禁。
アウン・サン・スー・チーについて
→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%BC
彼女は、インド大使となった母に伴ってインドへ行き、そこでガンジーに師事。
非暴力革命の思想をここで受け継ぐ。
オクスフォード大学を出て国連で勤めるというエリートであり、
自由への鉄の意志を持った素晴らしい指導者である。
そして、トレードマークの花の髪飾りがとても似合う美しい女性である。
民主化というものは、自由や正義そしてその他の社会的権限、
政治上の権利と同様に『与えられるもの』ではなく、勇気と決意をもって、
あるいは犠牲を払ってでも勝ち取るものなのです。
アウン・サン・スー・チー『自由』
一方、この軍事国家を支えてきたのはどこなのか?
この国への海外からの援助の70%は日本だという事実。
数千億円の援助が軍事政権を支えてきたという事実を知って愕然とした。
暴力で人の口を封じるような悪しき権力は許してはならない。
日本は、これだけの援助をしてきた国だからこそ、
こうう時に国連と協調して積極的に関わっていくべきではないのか?
ミャンマーの民主化と平和を祈るような気持ちである。