『苦悩』について

前日の疲労が全身に残ったまま、今日も現場。
トラブルの原因究明と対策を行い。無事解決。
夕方5時に現場を出て二見に戻る。
参道のお福餅(赤福の競合)で
「お福マック」アイスキャンデーを買って、藍織成さんへ...
これは赤福のかき氷より古く、昭和24年からあるらしい。
味は、あんこそのもの。
http://www.mint.or.jp/ofuku/info.htm
お福マックを食べ、お茶をいただいているとお客さんが来てまた雑談が始まる。
ここでは、いつでもいろいろな出会いがある。
今日の方はご主人を若くして亡くされ、息子さんを育て上げて社会に送り出し
今は真珠店に勤めながら、悠々自適な生活をされているというご婦人。
言い尽くせぬ苦労があったはずだが、そんなことは微塵も感じさせないおおらかな雰囲気。
夕食に出かけた後、宮本輝の新刊『花の回廊』を購入するため通りがかりの書店に立ち寄る。
この感想はまた後日として...
立ち読みをしていて見つけたのが小林秀雄著『人生の鍛錬』
人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)
小林秀雄の本は、学生時代に『モーツァルト・無常ということ』を読んだ
当時は、堅苦しい文章に馴染めなかったものだが、なんとなく懐かしくて購入。
長文を読むには疲れる文体だが、抜粋を集めたものなのでパラパラめくって飛ばし読み。

「人間は苦悩を愛する」というドストエフスキーの言葉には、少しもひねくれた意味はない。
ひたすら人間の内的なものの探求に力を傾けた人物の極めて直截な洞察が語られているだけだ。
苦悩は人間の意識の唯一の原因である。
調和・平安・均衡・安全を愛する精神というものが考えられるなら考えてみよ。
そういうものを、人間は、理性という一才能により或いは迷信という一才能により、
巧妙に或いは拙劣に獲得するにせよ
そのときの彼の精神は、精神の一番明瞭な特徴を失わざるを得ない。
叛逆や懐疑や飢餓を感じていない精神とは
その特権を誰かに売り渡してしまった精神に過ぎない。
(中略)
精力的な精神は決して眠りたがらぬ。肉体の機構が環境への順応を強いられている様な正確さで
精神は決して必然性の命令に屈従してはいない。
本能的に危険を避ける肉体は常に平衡を求めている。
満腹の後に安眠ができるようにできている。
だが、精神は新しい飢餓を挑発しない様な満腹を知らない。
満足を与えられれば必ず何かしら不満を嗅ぎ出す。

「人間は苦悩を愛する」という洞察は深遠である。
苦悩を愛し、苦悩を自ら求め、そしてそれに打ち克つことこそが人間の最も人間らしい生き方。
それは、苦悩を抜けた先に本当の意味の歓喜と人間としての深まりがあるからだろう。
安定や快楽だけを求めていく精神というのは、人間の特権を売り渡してしまった者と断ずる。
現代の社会のさまざまなゆがみは、人間の精神を蝕んでいるように思う。
否、人間の精神の歪みが社会を蝕んでいるのか?
精神を深めることを怠り、物質的な豊かさばかりを求める生き方が何と多いことか...
苦悩は人間を本当の意味で豊かにしていく。
先ほど会ったばかりのご婦人のふくよかな表情が浮かんだ。