短編集『星々の悲しみ』
- 作者: 宮本輝
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1984/08
- メディア: ペーパーバック
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隔離された結核病棟に最後に残った「僕」と初老の婦人「栗山さん」
病と闘う生命と衰え行く生命
ある日ふとした会話で「僕」は「宇宙の精力」という言葉を口にする。
「栗山さん」は、生命の消え行く気配の中で
この「宇宙の精力」という一言にある歓びと希望を見出していく。
社会から置き忘れられた結核病棟という閉鎖された世界の中で
「生」と「死」が交錯する。
病の床にあって「生」への希望は歓びに違いないが
宇宙という大きな生命の中の精力をわが身に観じた時
「死」もまた歓びなのかもしれない。
「死」というものを単純に「不幸」ととらえるのは
あまりにも浅薄な捕らえ方かもしれない。
確かに愛する人に二度と決して会えなくなることは悲しみには違いないが...
・・・・・
幼いわが子を病でなくした母親が、わが子を生き返らせる方法を求めて
わが子の痛いを抱きしめて町をさまよう。
しかし、その子を生き返らせる方法は見つからない。
最後にたどり着いた釈迦は、その方法を教えてあげようと言う
それにはひとつ条件がある。
町に出て、香辛料を一つまみもらってくることである。
但し、その家から死人が一人も出たことのない家の香辛料でなくてはならない。
母親は歓喜して町に出る...しかし
死人が出たことのない家など、どこを探しても一件もないのである。
一件一件まわっているうちに、母親は気がつく。
この世で死なない人など一人もいないことを
(宮本輝『わかれの船』ASIN:4334923038)
・・・・・・・
「死」ということを忌み嫌う思想は軽薄
「死」を避けて通る文学も哲学も芸術も
全て空虚で中身は薄い。
宮本輝の文学には底辺に「生」と「死」が静かに横たわっている。
『錦繍』の中では、モーツァルトのシンフォニーに「死」を見出す。
「生きていることと死んでいることは、もしかしたら同じことかもしれない
そんな宇宙の不思議なからくりを、モーツァルトの音楽は奏でているのだ...」
「死」を真摯に受け止めることで「生」の歓喜も深まる。
宇宙の大きな息遣いの中では
どんなに大きく見える悩みも、たいしたことではないのだ。
「生死」でさえ宇宙のリズムの一小節かもしれない。
まだまだ観念でしか理解できないけれど...
こんなことを考えていると酔いが回りすぎる。
安いワインはやっぱりアカンな。